名鉄名古屋本線は、岐阜市の市街地を縫うように線路が通っています。その一角に、ホームの跡のようなものがあります。岐阜市の加納地域にある広江駅の跡です。岐阜と笠松の間に電車が走り始めたのは大正3年。半年間は始発駅だった駅でした。岐阜から名古屋方面へ向かう電車の移り変わりも合わせて、その跡を探ってきました。
名鉄岐阜駅を発車した名鉄名古屋本線の電車は、JR岐阜駅の高架をくぐり、大きく左にカーブして1分ほどで隣の加納駅に差しかかります。その途中、カーブを曲がりきったあたりの踏切。線路脇に背の低い石垣のようなものがあります。ここが広江駅の跡です。
この駅の開業は1914(大正3)年6月2日。岐阜と笠松の間を結んだ美濃電気軌道笠松線の始発駅として誕生しました。同年12月26日に線路は国鉄岐阜駅を越え、新岐阜駅が開業します。開業時の新岐阜駅は現在の名鉄岐阜駅の位置ではありませんでした。国鉄線を越えて急カーブし、今は予備校などのビルが建ち並ぶ一角に駅がありました。
岐阜と笠松を結んでいた美濃電気軌道笠松線。会社は合併により、名岐鉄道や名鉄と移り変わっていきました。路線も、1935年に木曽川を渡って名古屋方面と直通し、48年には岐阜と豊橋を結ぶ名鉄名古屋本線の一部になっています。同じころ、新岐阜駅は現在の名鉄岐阜駅の位置に移動しています。
中間駅となった広江駅。末期は普通電車のみが停車する駅でした。近隣の駅との距離が短いこともあり、68年1月に廃止となりました。
広江駅の跡を観察してみます。...