第40回で紹介した2016年1月のイベントの後、息子の明浩は、3月に奨励会3級に昇級、6月に2級に昇級、9月に1級に昇級という快進撃を見せました。
奨励会で初段になることは「入品(にゅうほん)」と呼ばれます。その条件は級位者の昇級基準より厳しく、21歳までに初段に上がれないと奨励会を退会となる規定もあり、一つの区切りとなっています。しかし、息子はそれほど苦しむことなく、中学3年生の6月に、初段に昇段します。
問題はここからでした。息子が「高校には行かない」と言い出したのです。理由を聞くと、「藤井君(藤井聡太現七冠)も行かないから」とのことでした。
藤井さんは、そのとき、既にプロとして快進撃を続けていました。当時、プロになれるかどうか分からなかった息子とは別世界の人です。
私たち夫婦は、息子が高校に進学するよう、何度も説得しました。将棋に力を入れている私立高校からも、何度も熱心な勧誘がありました。しかし、息子の決意は固く、効果はありませんでした。
そのうち妻は、「プロになれなかったときは、大学に行けるよう教えてあげて」と私に話すようになりました。それでも私は、「高校だけは卒業してほしい」と説得を続けました。
そうこうするうち、冬になりました。息子は、「やっぱり高校に行く」と言いました。理由を聞くと、「藤井君も高校に行くことにしたから」とのことでした。
ただ、「遠くまで通うのは嫌だ」とのことで、私立高校は受験せず、普通科で一番近い公立高校だけを受験することとなりました。担任の先生に相談すると、「私立を併願しなくても大丈夫です」とのことで、私たち夫婦は胸をなで下ろしました。
最も近い高校とはいえ、自宅から約6キロもあります。自転車で毎日通うのは、本当に大変だったと思います。
しかし、中学3年間、遠く離れた学校へ、暑い日も雨の日も自転車通学していた息子は、高校への通学も苦にすることなく、3年間楽しく通いました。
私は、息子の中学の参観日に、自転車で行ってみたことがあります。往復1時間、自転車をこぐのは大変でした。私が育った大阪の中学では、校区が狭く、自転車で通う子はいなかったので、岐阜の子たちはすごいなと感じたことを覚えています。
地方に住む子の遠距離通学は大変ですが、それを乗り越えることで、体力はもちろん、精神力も鍛えられるように感じています。
(「文聞分」主宰・高田浩史)
=随時掲載、題字は高田明浩五段=