高校に入学した息子の明浩は、毎日、楽しく通っていました。特に、野球部やサッカー部で頑張っている同級生と仲良くなったようです。「分野は違っても、いろいろ努力している子たちとは話が合う」とよく話していました。
私は毎朝、息子と妻のお弁当を作るようになりました。最初は苦戦しましたが、毎日、2人が完食してくれたおかげで、3年間の弁当作りも無事に終えることができました。
高校1年生のときは初段で停滞していたため、担任の先生との三者懇談で、再び進路の問題に直面します。私は、「大学へ進学してほしい」という気持ちを持っていました。
息子も、奨励会の先輩から大学将棋部や団体戦の様子を聞き、大学へ行くのも楽しそうだなと感じていました。そのため、中学のときのような親子の葛藤はありませんでした。
息子は記録係や研究会を熱心にこなし、高校2年生の7月、二段になりました。2月には三段となり、4月からの三段リーグ入りが決まります。その時点で、息子は大学へ行かないことを決めました。私たち夫婦も異論はありませんでした。
三段リーグはプロ入りの最終関門で、40人ほどが競い、半年に2人しかプロ入りできない過酷なリーグです。そのため、三段リーグに入ったからといってプロになれるわけでもないのですが、そこまで来たからには、プロを目指してまい進してほしいという思いがありました。
息子は記録係のため、高校を休むことがよくありました。教科の授業は、ノートを貸してくれる友人がたくさんいたこともあり、なんとかなったのですが、大変だったのは体育でした。
体育を休むと、校庭のランニングが課されます。授業の後、ランニングし、自転車を30分こいで帰ってくることは、大変だったと思います。帰宅後、疲れて寝ていることも、しばしばありました。
息子の高校生活で、私が一番うれしく感じていたのは、同級生や先生方の応援です。記録係をしている息子の様子をテレビやネットで見て、応援されることが多かったようで、息子は、「友達や先生から声をかけられてうれしかったよ」と、よく話していました。
当時は奨励会の存在が知られておらず、息子は、学校で奨励会三段と話すと、「うちのじいちゃんは(アマ)四段だよ」などと言われる、と苦笑いしていましたが、それも懐かしい思い出です。
息子が、当初の希望通り、高校へ進学せず将棋に専念していたら、もう少し早くプロ入りできたかもしれません。しかし、高校で楽しく学生生活を送り、同級生や先生方から温かく応援してもらえたことは、かけがえのない経験になったのではと感じています。
(「文聞分」主宰・高田浩史)
=随時掲載、題字は高田明浩五段=