大垣日大と中京は2015年秋から19年夏までの県大会12季連続で対戦し、6勝6敗の五分。両校による2強時代だった。夏も2勝2敗で県の覇権を分け合った。16年の夏、中京が14年ぶりに選手権の舞台に立った。翌年の17年、100回大会の18年と2年連続で大垣日大が夏の甲子園に出場した。2年生からエースの修行恵大さん(24)、1年から主軸の内藤圭史さん(23)の西濃運輸で活躍する先輩後輩コンビに秘話を聞いた。

 2024年は、高校野球の聖地・甲子園球場が開場して100周年を迎えます。岐阜新聞デジタルで毎週木曜日に各年の感動を当時の紙面と主力選手インタビューで振り返る「甲子園100年ぎふ」を連載しています。
2年連続で出場した甲子園の思いを語る修行恵大さん(右)と内藤圭史さん=西濃運輸野球部寮
 修行恵大(しゅうぎょう・けいと) 2000年、愛知県豊橋市生まれ。2年春から背番号1を背負う。2017、18年の2年連続で夏の甲子園出場。大商大で野手に転向。21年春に関西六大学記録の8打数連続安打を記録して首位打者となり、同年春、22年春にベストナイン。23年に西濃運輸入社。一塁手、DHで活躍。
 内藤圭史(ないとう・きよし) 2001年、愛知県岡崎市生まれ。1年から外野手で主軸を務め、2年夏前から投手を兼務。2年連続で夏の甲子園に出場し、3年時の19年は決勝で中京に惜敗し、3連覇を逸す。東海大で4年春から投手に専念し、秋は首都リーグで先発5試合含む計6試合に登板。24年、西濃運輸に入社。
 修行 豊橋市出身で新城ボーイズでピッチャーをしていたが、中学時代はそれほどでもなかった。チームから大垣日大に行く人が多いので入学したが、1年生の時はひざのけがで、夏の終わりからようやく投げ始め、シーズン最後の私学大会でベンチ入りした。

 背番号1は、2年の春からもらって投げ、春大(はるたい、春季大会)から注目され始めたという感じ。自分は高校時代、一度も県岐阜商と対戦したことがなく、完全に中京との2強時代だったが、2年時は夏も秋も負け、名物の冬場の金生山トレーニングが、大垣日大史上最高の厳しさと言われ、とにかくきつかった。

 でもそのおかげで体がしっかりできてきて、いい球が投げられるようになり、成長できた。内藤は小学校からドランゴンズジュニアで、かなり注目されていた。

 内藤 岡崎市出身、リトルシニアで、中学まではキャッチャーだった。高校入学の時はいろいろな学校から誘われたが、甲子園に一番近い学校だと思い、大垣日大を選んだ。

 入学直後に試合に出してもらったが、最初の試合で目にボールが当たって、1カ月半くらいチームから離れていた。復帰したのは春の東海大会から。修行さんはエースでばりばり投げていて、夏も修行さんに連れていってもらった。

 ―阪口慶三監督の印象は。

 修行 野球の時は厳しい。練習も想像以上にきつかった。一日一日が長かった。

 内藤 厳しいのは有名だったけど、お年を取られていたので、そんなでもないだろうと思っていたら、年齢を感じさせない厳しさだった。普段はすごく優しいんですけど、スイッチが入ると厳しい。

 ―2017年はどんなチーム。

 修行 失点が少なく、甲子園出場校の中でも予選の防御率が2番目によかった守りのチームだったと思う。...