県勢初の2年連続で秋季東海大会を優勝し、明治神宮大会に出場して選抜出場した2010年、11年の大垣日大。前回に引き続き、エース葛西侑也さん(31)=愛知県東海市在住=に秘話や高校野球への思いを聞いた。

 2024年は、高校野球の聖地・甲子園球場が開場して100周年を迎えます。岐阜新聞デジタルで毎週木曜日に各年の感動を当時の紙面と主力選手インタビューで振り返る「甲子園100年ぎふ」を連載しています。
県勢初の2年連続秋東海覇者となり選抜出場、2010年にベスト4を果たした大垣日大のエース葛西侑也さん=愛知県東海市
 葛西侑也(かっさい・ゆきや) 1993年、三重県鈴鹿市生まれ。投手。白子中学時代は軟式野球。大垣日大高卒業後、社会人野球の日本製鉄東海REXで活躍。2016年に現役引退。

 ―選抜ベスト4になった2010年の夏は岐阜大会準決勝で岐阜県球史に残る名勝負で県岐阜商に0―1で惜敗。相手の藤田明宏監督が「全く失投がなかった」と語る完璧な投球だったが、一球に泣き、甲子園を逸した。

 葛西 八回裏の2死三塁。追い込んだので、一球外した。高さは間違わず、低めだったが、外しきれずに当てられ、レフト前タイムリー。それが、決勝点となった。

2010年岐阜大会準決勝の県岐阜商戦8回のピンチにマウンドの葛西の下にに集まる大垣日大ナイン=2010年7月25日、長良川球場

 もっと外に投げておけば…。高校野球で一番悔しい一球。ほかの記憶はもうおぼろげになっているが、あの一球だけは今でも鮮明に覚えている。

 あの一球で先輩たちの夏を終わらせてしまったとあやまりまくり、後でビデオで見ると恥ずかしいほど泣きまくっていた。

 先輩たちは「お前のせいじゃない」「お前がいてくれたからここまでこられた」と言ってくれたけど、チーム力は高く、自分の調子も高校時代で一番よかっただけに夏も甲子園に出ていれば―と今でも思う。

 自分たちの代で岐阜大会で負けた時とは次元の違う悔しさ。同時に一球の大切さを痛感し、どんな状況でも慎重に一球に集中しなければいけないことを学び、すごく成長の糧になった。

 ―新チームになり、岐阜県で初の秋の東海連覇で2年連続の神宮大会を経験し、選抜に出場する。

 葛西 県内で手こずることはなかったし、東海大会も調子がよかった。初戦の準々決勝豊田西(愛知)に8―2、準決勝の愛工大名電(同)に10―1。名電は一つ下の浜田達郎(元中日)がいたが、バントばかりしていた時代で、バントミスが多く助かったのを覚えている。決勝は静清(静岡)に11―6だった。...