少子化や大学入試改革で今、高校を取り巻く環境は大きく変化しています。岐阜県内の高校はどう対応していこうとしているのでしょうか。岐阜新聞デジタルは各校の校長らトップにインタビュー。学習方針や進路対策、キャリア教育について考えを聞きました。第5回は可児高校(可児市)の川地晃正校長(59)。「可児高の奇跡」と呼ばれるほどの進学実績を挙げ、「カニタカシステム」と呼ばれる教育方式を生み出した進学校ですが、「青春を楽しめる学校」へ変わろうとしています。厳しい教育指導で知られた「カニタカ」にいったい何が。(岐阜新聞デジタル独自記事です)
―可児高の特徴は。
本校は45年前に設立されたこの地域では一番新しい高校。学区制により難関大を目指すこの地域の生徒が岐阜地区の高校に通えなくなったり、可児市の団地に住み名古屋に通うサラリーマン家庭が子どもの大学進学を望んだりしたことから、設立当初から難関大を目指す進学校となった。
3期生で東大合格3人、6期生は国公立大学の合格者が90%を超え、7期生(1988年度卒業)は東大合格15人を出した。「可児高の奇跡」と言われた。そこから平成の初期まで東大合格者は2桁の年が多く、一番のピーク。それ以降、それだけの実績を挙げられていない。ピーク時の実績を目指して勉強を詰め込む学校にシフトしていったと思う。
―どのような課題に直面したのか。
可児高はスパルタ教育、厳しい教育をする学校となった。生徒に課題を出させる、課題を出さない生徒には無理やりにでも出させる。とにかく授業時間を確保し、徹底的に教え込む、学ばせる、そういった教育だった。生徒も教師もお互い苦しかったと思う。ただ、苦しい中でも勉強する、させるので東大に十数人合格とはいかなくても、生徒の50%前後は国公立大学合格を維持してきた。
生徒の保護者が本校を卒業した世代になってきたが、可児高は厳しい思い出しかない、だから自分の子どもは可児高に行かせたくない、という声が聞こえた。卒業生でこの地域の中学校の先生も増えてきたが、その先生方も可児高の思い出は勉強しかない、という思いだった。OB・OGが可児高を推奨しない、という学校になっていた。
文化祭はなかった。文化祭に力を入れるぐらいなら勉強しなさい、という狙いがあったと思う。
―スパルタ教育だったのですね。
よくよく調べると設立当時はおそらく、そんなスパルタではなかったようだ。開校10周年記念誌に、当時の進路指導部の先生がこんなことを書いている。
「大学合格実績を上げることだけが可児高校の使命ではありません。生徒の学力を向上させることだけがわれわれ職員に課せられた責務でもありません。何事にも熱意を持って取り組む姿勢、生活習慣が学力向上に驚くべき大きな影響を与えている」とある。
今私が進めているのは、けして可児高の大変革ではなく、設立当初の理念に立ち戻っている、という方がより正しいニュアンスかもしれない。
本校の校訓は「自ら学ぶ 自ら治む 自ら鍛う」。これを実践しているだけ。これこそ主体的な学びの実践だ。本校が不人気になったのは「教員が教える 教員が治める 教員が生徒を鍛える」からではないか。主語が全部教員になり、全て教員主導で生徒に勉強させてきた。その主語を生徒に置き換えた。「生徒自ら学ぶ 生徒自ら治む 生徒自ら鍛う」。われわれは生徒を支える。
―具体的にはどう変えているのか。
20年度から先鞭をつけ、学校改革を進めている。柱は三本ある。
一つは生徒が主体的に学ぶことができるための教育課程の再編成。具体的には総合的な探究の時間を正式な授業時間の中に組み込んだ。...