三木氏の菩提(ぼだい)寺とされる下呂市萩原町中呂の禅昌寺。三木氏で最初に実名が判明する直頼の位牌(いはい)が残り、代々の墓とされる五輪塔が境内でたたずむ。
創建したのは直頼で「開山仁谷和尚真筆」(飛騨下呂史料Ⅱ)に「大日本國飛州路益田郡萩原郷龍澤山禅昌寺開山老師明叔(みんしゅく)大和尚、創建法兄杲天(こうてん)和尚、檀越三木氏和州太守直頼公是也」とあり、直頼が明叔慶浚(けいしゅん)に開山させ、同寺2代の杲天宗恵(そうけい)が創建したとある。
明叔は円通寺住職で「飛騨遺乗合符(いじょうがっぷ)」の系譜では直頼の義兄とし、飛騨下呂史料の解説では、仁谷は禅昌寺3代住職で明叔の弟弟子という。...