滋賀県甲賀市(旧信楽町)で信楽高原鉄道(SKR)とJR西日本の列車が衝突し、42人が死亡した事故から34年となった14日、現場近くの慰霊碑前で、犠牲者の追悼法要が営まれた。
遺族と両社の社長らが黙とうし、慰霊碑に花を供えた。発生時刻の午前10時35分ごろにはSKRの列車が警笛を鳴らして現場を通過した。
SKRの正木仙治郎社長は「いかなる場合でも安全を最優先できるよう、安全な鉄道の実現に向けた取り組みを全力で推し進める」とあいさつ。JR西日本の長谷川一明社長は社員の世代交代が進む現状に触れ「命の大切さを心に刻み、一層力を入れて事故の事実や反省、教訓を後世に継承し続けていく」と述べた。
事故は1991年5月14日に発生。SKRの普通列車と線路に乗り入れたJR西の臨時列車が衝突し、42人が死亡、600人以上が重軽傷を負った。
臨時列車に乗っていた姉=当時(26)=を亡くした京都市の会社員臼井慈華子さん(54)は法要の日を前に電話取材に応じ「姉への思いは一生消えることはない」と話した。