2002年10月31日夜、日本を代表するスラッガーが東京都内のホテルの一室で長嶋茂雄さんと向き合っていた。試合とは全く違う緊張感だったと、当時巨人の主砲だった松井秀喜さんは米大リーグ挑戦の意思を恩師に伝えた夜を振り返る。

 決断を聞いた長嶋さんは寂しそうな表情を見せ「そうか、行くんだな」と静かに答えたという。しばらく間を置いて生気の戻った声で言葉を継いだ。「どうせ行くならヤンキースへ行けよ」

 01年限りで監督を退いた長嶋さんは、球団の意向を受けて巨人残留を松井さんに要請していた。だが米国へと傾くまな弟子の気持ちは感じ取っていたようだった。

 大リーグ挑戦は長嶋さんも見た夢だった。1966年、来日したドジャースのウォルター・オマリー・オーナーが巨人の創設者、正力松太郎さんに獲得を打診したという。「私は行くつもりでいた。正力先生が『行くな。ジャイアンツが駄目になるから』と。時代がね」と幻に終わった移籍を語ったことがある。

 03年に渡米した松井さんは09年のワールドシリーズでヤンキースを頂点に導いた。