法要で黙とうする米軍関係者ら=20日午後、福岡市

 太平洋戦争末期、福岡市に拠点があった陸軍の西部軍司令部によって、軍律会議を経ず米軍機搭乗員らが処刑されてから80年となった20日、同市の油山観音で慰霊の法要が営まれた。処刑に携わり戦犯となった軍関係者の遺族ら日米の約20人が参列し「悲劇を忘れてはいけない」と誓った。

 主計大尉だった故冬至堅太郎さん(1983年死去)は45年6月19日の福岡大空襲で母親を失い、翌20日、搭乗員4人の処刑に加わった。BC級戦犯を裁いた横浜裁判で死刑判決を受けたが減刑に。釈放後、自宅の庭に仏像4体を供え慰霊した。

 三男の克也さん(71)=福岡市=は法要で「あの戦争なしに親密な日米関係をつくることはできなかったのか。戦争がいかに無意味であったかを思わずにはいられない」とあいさつした。

 18歳で徴兵された叔父が45年8月、日本兵に処刑されたという米バージニア州のティモシー・ラングさん(61)はリモートで参加。「若者が命を落とすような戦争が二度と起こらないことを心から願う」と結んだ。