鍵谷英一郎さんインタビュー2回目は、教員となって赴任した中津商を夏の岐阜大会10年ぶりのベスト8、土岐紅陵では18年ぶりの勝利から22年ぶりベスト8に導くなど、県岐阜商監督になる前のチームづくりや秘話などについて聞いた。

 かぎや・えいいちろう 1967年、可児郡御嵩町生まれ。小学4年で、岐阜県高野連の審判だった父親が立ち上げた伏見スポーツ少年団で野球を始める。左投手。県岐阜商から愛知学院大を経て、1990年に岐阜県で教員に。中津商、土岐紅陵を経て2003年から母校の県岐阜商で監督。学校創立100周年の04年と06年に夏の甲子園に出場。その後は武義、中津商、東濃実、県岐阜商、岐阜各務野に勤務。岐阜県高野連の中濃・飛騨支部長、会計を経て20年から6年間、専務理事として岐阜県高校野球の発展に尽力。今春、退職し、来年、独立リーグ加入を目指す「岐阜ダイヤモンドリバーズ」を運営する「Green Light Project」の副社長・野球事業部長として岐阜県初のプロ球団の立ち上げに取り組む。

 ―中津商で監督になって3年目の夏、1995年の岐阜大会でベスト8になった。

 鍵谷 どこも甲子園出場は地元の熱い願い。「飛騨から甲子園」のように「中津川から甲子園」を掲げる中津商の歴史は古く(最初の岐阜大会が行われた1927年から参加)、岐阜大会で60、61年と2年連続準優勝、決勝のなかった72年に三岐大会代表となるなど夢に近づいたが、いまだ甲子園には出場していない。当時も長らく低迷していたが、95年は10年ぶりの夏ベスト8だった。

県岐阜商監督時代に選手に指示する鍵谷英一郎さん=長良川球場

 3年生は6人しかいなくて、ピッチャーもキャッチャーをやっていた後藤健司をマウンドに上げて、キャッチャーを2年生にした。後藤はスリークオーターにして、出し入れだけ覚えさせた。

 ちょうど県岐阜商の後輩で小川信幸先生の息子さん、今春、岐阜県高野連の専務理事を引き継いだ信和君が副部長できたので、二人三脚で鍛えた。

 特に守備は、僕と小川君がかわるがわるフリーバッティングで打ちまくって、選手より飛ぶから、いい練習になったと思う。OBの社会人野球の方に大会前にきてもらって、ブルペンでピッチャーの後藤をみてもらったのも大きかった。

 1回戦で羽島に5―0、2回戦は県岐阜商の先輩の工藤昌義監督の土岐商に2―1で競り勝った。3回戦は美濃加茂に5―1でベスト8になった。最後、...