鍵谷英一郎さんインタビューの4回目は、岐阜県高野連の事務方のトップである専務理事時代について。今春退職するまで6年間務め、組織や大会の運営改革などを推進。硬式では県内高校が45年ぶりとなる6年間で5度の選抜出場、軟式で中京が前人未踏の全国選手権4連覇を果たすなど実績も挙げた。専務理事時代の考え方や秘話を聞いた。
鍵谷英一郎(かぎや・えいいちろう) 1967年、可児郡御嵩町生まれ。小学4年で、岐阜県高野連の審判だった父親が立ち上げた伏見スポーツ少年団で野球を始める。左投手。県岐阜商から愛知学院大を経て、1990年に岐阜県で教員に。中津商、土岐紅陵を経て2003年から母校の県岐阜商で監督。学校創立100周年の04年と06年に夏の甲子園に出場。その後は武義、中津商、東濃実、県岐阜商、岐阜各務野に勤務。岐阜県高野連の中濃・飛騨支部長、会計を経て20年から6年間、専務理事として岐阜県高校野球の発展に尽力。今春、退職し、来年、独立リーグ加入を目指す「岐阜ダイヤモンドリバーズ」を運営する「Green Light Project」の副社長・野球事業部長として岐阜県初のプロ球団の立ち上げに取り組む。
―岐阜県高野連の理事としてのスタートは。
鍵谷 2015年に東濃実に異動したが、この時、加茂農林の村井陽一先生が監督をやりながら中濃・飛騨地区の支部長をやることになるので、「鍵谷君やってくれないか」と言われて、「いいですよ」と2年間、中濃・飛騨地区の支部長をした。そこから、岐阜県高野連の理事がスタートした。その時は現場に戻る気はさらさらなかった。
というのも県岐阜商の先輩の工藤昌義先生と同級生の藤田明宏、後輩で今、中日でスカウトしている熊崎誠也と毎年、岐阜県の高校野球をどうやって強くするかという集まりをしていた。その時に互いに45歳くらいで、現場の監督は退こうという話をしていたので、14年夏の中津商を最後に監督を退き、東濃地区の支部長をやらせてもらうつもりでいたら、東濃実転勤となったので、支部長は中濃・飛騨地区でやることになった。
―2度目の県岐阜商勤務は。
鍵谷 16年に当時の岐阜県高野連の専務理事だった臼井新次先生に「会計をやってくれないか」と言われ、引き受けることにした。ちょうど、県岐阜商の後輩の小川信和君が母校で一人で苦しんでいるということで、17年に会計理事を引き受けるタイミングで、再び、県岐阜商に赴任した。
そうしたら、1年目の岐阜大会3回戦で海津明誠に1―9でコールド負けして、...








