「コレハ…スゴイデスネ!!」。この夏、アメリカから来た工芸研究者を5日間受け入れる機会があった。日本の曲げ物に関心を持つブレンダン・ガフニーさん(36)でアメリカの共通の友人から紹介があり、岐阜県の曲げ物の歴史や文化を学びたいとのことだった。
そこで、揖斐郡揖斐川町の徳山民俗資料収蔵庫で江戸末期から昭和にかけての古い資料に当たったり、各務原市の工房で岐阜県が大きな生産量を誇るせいろの製造を見学したり、高山市の工房で飛騨春慶の曲げ物木地や茶道具類の製造を見学したりしてもらうことにした。ブレンダンさんは自ら文献を調べ、作品を作り、文章を書く人で、私が事前に紹介した曲げ物に関する日本語の文献も翻訳アプリなどを駆使して読み込んでから来日した。そんな熱心な人だったので、行く先々で冒頭の言葉を連発し、古い曲げ物を詳細に写真に収めたり、職人の作業を食い入るように見つめたりした。
日本の工芸に強い関心を持つ彼のような外国人研究者や工芸作家を、私はこれまで何人も受け入れてきた。彼らと交流していると、なぜ日本の工芸を求めてやって来るのか、理由が分かるようになった。彼らが本国において工芸に関心を深めると、私たちと同じように地域の資料館に足を運び、先人の作った生活道具や家具などを辿(たど)ることになるが、アメリカの場合、さらに遡(さかのぼ)ろうとすると16世紀あたりで急に道が細くなる。その先はアメリカ先住民族の工芸か、彼らの祖先がやって来たヨーロッパの工芸かの二股に分かれているのだ。アメリカ先住民族の場合、そもそも16世紀まで鉄器文明がなかったため道具も技法も極めて素朴なものに限られていた上、それらの多くが失われた。ヨーロッパでもすでに失われてしまった工芸は多い。
その点、日本は工芸文化の道が途切れることなく現代の生活にまで続いていると欧米人の目には映るようだ。岐阜県では美濃焼は1400年、飛騨の匠(たくみ)は1300年の歴史と言う。今も陶磁器や漆の器、木の箸や匙(さじ)などの日用品を作る職人が県内にいて、それらを毎日の食卓に並べることができる。
そうした県内の優れた工芸を1週間から数カ月にわたり滞在してじっくり調査・研究・体験したいという外国人は確実に存在する。そのニーズへの対応はまだ個人レベルでしかできていないが、県全体として仕組みづくりが必要だと私は考えている。
さて1カ月後、ブレンダンさんのSNSに美しい重箱の写真が載った。帰国してから自身の工房で何度も練習して作ったものらしい。写真には飛騨の職人への感謝の言葉も添えられていた。
(久津輪雅 技の環代表理事、森林文化アカデミー教授)
【ブレンダンさんのSNS】 ホームページはhttps://burn-heart.com、インスタグラムは@burnheartmade。ブレンダンさんは日本の職人と話したり工芸資料を読んだりするために日本語を学び始め、文章も自ら日本語で書いている。













