1990年12月、ラストランとなった有馬記念を制覇したオグリキャップ。武豊騎手を背に、ウイニングランではオグリコールが鳴り響いた(競馬ブック提供)

 オグリキャップが天国に旅立って、12回目の夏を迎えた。2010年7月3日、突然の悲報を受けたのは午後8時半だった。

 当時は夕刊勤務で、すぐに本社へ戻った。オグリキャップの初代馬主・小栗孝一さんや元調教師・鷲見昌勇(まさお)さんら笠松競馬時代の関係者に取材するよう、報道デスクに依頼。名馬への熱い思いと喪失感が交錯する中、急いで追悼のサイド記事を書き上げて、何とか朝刊の締め切り時間に間に合わせた。岐阜新聞では1面の準トップで「オグリキャップ逝く 笠松競馬出身の『怪物』」の見出し。社会面、スポーツ面でもトップで大きく報じた。北海道新冠町の牧場で放牧中に右後ろ脚を骨折した影響ということで、25歳だった。

 現在は一連の不祥事に揺れる笠松競馬だが、地方競馬の先頭に立って中央馬にも挑戦し、圧倒した輝かしい時代があった。波乱に満ちたそのストーリー性で「100年に1頭」とも言われるスターホース・オグリキャップを育て上げた聖地でもある。笠松にまだ来場したことがない「ウマ娘」ファンら若い世代の皆さんにも、縫いぐるみを抱えた女性ファンらのアイドルにもなった「芦毛の怪物」がどんな存在だったのか知ってもらいたい。

 岐阜新聞に掲載された追悼のサイド記事や関係者の声で、オグリキャップが残した功績を改めて振り返ってみた。

 ■有馬記念で劇的V、伝説の「オグリコール」

 笠松競馬が生んだ名馬オグリキャップが3日亡くなり、その雄姿はもう見られない。ラストランとなった有馬記念では、限界説を吹き飛ばす優勝を飾り、武豊騎手を背に場内を1周。中山競馬場に詰め掛けたファンらから送られた歓喜の「オグリコール」は、永遠の響きとして伝説にもなっている。
 
 笠松育ち。馬主・小栗孝一さん、調教師の鷲見昌勇さんの名コンビ。小栗さんの持ち馬にはすべて「オグリ」の冠名が付き、地元・笠松では「キャップ」とも呼ばれた。デビューは1987年5月、3歳新馬戦で2着だったが、地元で12戦10勝。東海地区では無敵だった。
 
 中央競馬移籍後の活躍も圧巻。芦毛の怪物とも呼ばれ、いきなり重賞6連勝。地方出身の「野武士」が中央のエリート馬を次々となぎ倒す姿は痛快そのもの。70年代、同じく地方出身のハイセイコーが巻き起こした競馬ブームを超えた。オグリの縫いぐるみを抱えた女性ファンが競馬場に押し掛け、熱い声援を送り、社会現象ともなった。
 
 同じ芦毛馬とは縁が深く、ライバルが多かった。笠松時代のマーチトウショウ(オグリに2度勝利)。中央入り後のタマモクロス(天皇賞・秋、ジャパンカップでオグリに先着)。「昭和最後の名勝負」と称された88年・有馬記念では、オグリが先輩・タマモクロスを破って見事に世代交代を果たした。

1991年1月、笠松競馬場で行われたオグリキャップ引退の里帰りセレモニー。安藤勝己騎手を背に、場内外を埋めた3万人以上のファンが声援を送った

 ■GⅠ連闘、頑張る姿は見る人に感動を与えた
 
 平成に入っての5歳時・秋は、4カ月間に6レースに出走するハードな戦い。GⅡレースながらハナ差で制した毎日王冠は壮絶だった。ここからGⅠを4レース。同じくハナ差優勝のマイルチャンピオンシップからは連闘でジャパンカップへ。ニュージーランドの、これまた芦毛馬・ホーリックスを猛追したが2着。過酷なローテーションで戦う姿は、当時・バブル時代に活躍した「企業戦士」にも例えられ、その悲壮感とともに頑張る姿は大きな共感を呼んだ。
 
 オグリ最大の魅力、それはレースを見る人に感動を与えたことにあった。馬でありながら、精神的にどこか人間に近い存在。その頑張って走る姿は、頭の位置が低く、ほかの馬より明らかに「低姿勢」。4歳時(現3歳)には、ゲートインで大きく体を揺すって「さあ走るぞ」と言わんばかりに武者震い。レースでは「オグリはゴール板の位置を知っていた」と言われたほどだった。安藤勝己、南井克巳、武豊ら名騎手の騎乗で、最後の直線でのゴーサインに鮮やかに応え、きっちり差し切りゴールインした。
 
 ■笠松でも引退式、競馬場存続に大きく貢献

 引退後、91年1月の笠松競馬場での引退式では、場内に入り切れないファンが木曽川堤防沿いにも押し寄せ、安藤騎手を背にコースを周回。岐阜県を全国にアピールした功績がたたえられ、県スポーツ栄誉賞にも輝いた。
 
 2005年4月のレース「オグリキャップ記念」では、経営難による存続問題で大揺れした笠松競馬場を救おうと、北海道から来場。その健在ぶりをファンに披露し、競馬場存続に大きく貢献した。
 
 競馬場内のオグリキャップ像は「笠松競馬は永遠なり」をアピールするシンボルである。大きな感動を与えてくれたオグリの疾走は、有馬記念や引退式でのオグリコールとともにファンの心に語り継がれていく。オグリキャップよ、ありがとう。(2010年7月4日付・岐阜新聞スポーツ面) 

2005年4月、14年ぶりに里帰りしたオグリキャップの歓迎セレモニー。笠松競馬存続の「救世主」として、健在ぶりをスタンドいっぱいに詰め掛けたファンに披露した

 ■小栗孝一さん「これほど多くの人に愛された馬はいない」
 
 笠松競馬が生んだ伝説の名馬オグリキャップ。競馬ファンのみならず、日本中を魅了した「芦毛の怪物」は引退後も、存廃に揺れる笠松競馬の「救世主」となって里帰りし、古里の人たちに希望を与え続けた。突然の悲報に、関係者からは悲しみと感謝の声が相次いだ。

 ◆初代馬主で名付け親の小栗孝一さん 
「あんなに強い馬には、もう二度と出会えない。自分の人生を変えてくれた存在だった。(引退後、北海道まで会いに行くと)ひいき目かもしれないが、私を見ると寄ってきた。跳びはねるくらい元気な様子で、今年もそろそろ行こうかと思っていた矢先だった。つらいけれど、しょうがない」

 (7月19日のお別れ会でも追悼)「笠松での目の覚めるような快進撃、中央での名勝負。これほど多くの人に愛された馬はいない。素晴らしい思い出をありがとう」

 ◆調教師として育ての親だった鷲見昌勇さん
「年とりゃ死ぬんやけど残念だ。近況も知っていたが、きょう死んでしまうとは。気性はまじめでおおらか。ゴールがよく分かっとった馬で、笠松競馬を盛り上げてくれた最高の馬。キャップとは母親(ホワイトナルビー)からの深いつながりがあり、俺と笠松競馬の存在を日本中のファンに知らせてくれた。キャップの子どもが出世しなんだんで残念や。でも、いい目を見させてくれて『ありがとう』と手を合わせて拝みたい」

 ◆笠松競馬管理者の広江正明笠松町長 
 「競馬場の存廃問題が浮上した時には、里帰りをして雄姿を見せ、大勢のファンを呼び戻してくれた。オグリキャップに続く強い馬が育ちつつある。恩に報いるためにも、競馬場を盛り上げていきたい。お別れ会を開いて、ファンや地域の皆さんで『さようなら』を言う場をつくりたい」
 
 ■武豊騎手「スーパーホースのすごさを伝えていきたい」

 ◆ラストランに騎乗した武豊騎手 
 「競馬の歴史にすごい名を残した馬に2度騎乗させてもらって本当にありがたかった。誇りに思う。オグリを知らない若い世代のファンもいらっしゃるので、あのスーパーホースのすごさを伝えていきたい」

 ◆JRA時代の元調教師・瀬戸口勉さん 
 「大変残念。ファンの馬だから皆がっかりするでしょう。引退レースに勝ったのが忘れられない」

 ◆岐阜県調騎会の後藤保会長
 「笠松競馬を去った後も、古里を大いに盛り上げてくれた」
 
 ◆笠松競馬愛馬会の後藤美千代代表
 「オグリキャップを目指そうと、現場で働く者に夢と希望を与えてくれた馬だった。ありがとうと言いたい」

2010年7月、笠松競馬場内のオグリキャップ像前には献花台と記帳台が設置され、全国から訪れたファンが雄姿をしのんで手を合わせた

 ■ファン「たくさんの勇気をもらった。ありがとう」

 一夜明けた4日、笠松競馬場内のオグリキャップ像前には、献花台と記帳台が設置された。県内外からファンが訪れ、雄姿をしのんで手を合わせた。献花台には、花束のほか、ニンジンやリンゴのお供えが置かれた。

 記帳に来た人たちは「たくさんの勇気をもらった。ありがとう」「安らかに眠ってください」などのメッセージを寄せた。東京や大阪から駆け付けたファンの姿もあった。
 
 ◆オグリキャップ像の前で雄姿をしのんだファン
 「学生時代に東京競馬場で引退式を見たのが一番の思い出。突然のニュースに驚いた」「笠松時代から知っているが、これほど有名になるとは思いもよらず、古里の馬が活躍してくれるのがうれしかった。きょうは『ありがとう』と言いに来た」

 ◆笠松時代に7戦7勝、主戦だった安藤勝己騎手(函館競馬場で)
「かわいい馬でした。あれだけファンの印象に残る馬はもう出ないでしょう」

■ファンの来場を待つオグリキャップ像

 最後まで諦めずにゴールを目指す力強い走りは、心を揺さぶり「勇気づけられた」というファンが多かった。有馬記念での2度の優勝は笠松時代からの馬主、調教師、騎手たちの「夢の結晶」であり、ファンも夢を共有できた。

 騎手、調教師による馬券の不正購入事件などで苦境に立つ笠松競馬。開催中止になって半年になるが、競走馬のゲートもファンの入場門も閉まったままだ。それでも、過酷な条件をクリアして頑張り、どん底からはい上がる「オグリキャップ精神」は、浄化を進める現場にも脈々と受け継がれているはずだ。場内に立つオグリキャップの等身大ブロンズ像は、地方から中央に駆け上がった出世馬の「パワースポット」である。再生に向けたクリーン化がさらに進められ、入場が再開されれば、記念撮影を楽しめる人気スポットにもなる。

 ラストラン・有馬記念Vで見せた力強い走りのように「復活」の熱い思いが詰まった、笠松競馬の守り神であるオグリキャップ像。「早くゲートオープンを」とレースの再開、ファンとの再会を願っているかのように、正門横で顔をのぞかせている。