日本国憲法公布日(1946年11月3日)の岐阜タイムス1面。マッカーサーの声明も顔写真付きで掲載された
戦後日本の平和を語る上で欠かせない憲法9条と国連憲章。右は「日本国憲法」(童話屋)、左は「国際連合成立史」(有信堂)より

 戦後日本の歩みは、終戦翌年の日本国憲法の公布とともに始まる。三原則の一つに平和主義を掲げ、その第9条で戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認を定めた憲法で、「平和憲法」とも呼ばれている。

 1946年11月3日の憲法公布の日。本紙(当時は岐阜タイムス)は1面トップで「憲法けふ公布 平和日本の礎 茲(ここ)に定る」の見出しを打ち、「新憲法は世界平和と善意と平静への偉大な進歩前進である」と締めくくる、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーの声明を掲載した。

 県内では、各地で祝賀行事が催された。岐阜市の柳ケ瀬を華やかなみこしが練り歩き、翌日の紙面は「威勢のいい“ワッショイワッショイ”の掛け声が、賑やかな銅鑼(どら)や太鼓の鳴り物とともに全市を包んだ」と公布日の熱気を伝えた。

 こうした雰囲気の中で受け入れられた憲法。77年間の平和の理由として、この存在を挙げることが多い。

 一方、国際的な視点に立ち「憲法9条というより、国連憲章の敵国条項があるから」と話すのは、「真説・国防論」などの著書を持つ認知科学者の苫米地(とまべち)英人氏だ。

 国際連合は、第2次世界大戦の連合国(戦勝国)が母体で、国連憲章には連合国の敵国(敗戦国)に関する取り決めがある。苫米地氏は「連合国の敵国が再び侵略行為を行うか、その兆しがあれば、安全保障理事会の許可を得なくても攻撃できる。(敗戦国の)日本はまだ敵国扱いで、この条項が機能している」と指摘する。これらの条項は1995年の国連総会で削除することが決まったが、いまだに削除に至っていないのが現状だと説明する。

 一方で憲法は、苫米地氏によると連合国が日本の経済・軍事を無力化する目的で定めたが、途中で日本の左傾化を懸念した米国が、日本を親米の同盟国にし、経済復興させる路線に変更した。自衛隊の存在は戦力不保持の9条と矛盾するが、連合国側の米国主導で発足し、国連憲章に触れない「専守防衛」の範囲内に収めてきたと考えれば合点がいくという。

 そのため、日本は戦争をしないこと以上に、そもそも「できない」と苫米地氏は強調。さらに、日米安保の存在と、冷戦時代に米ソ東西の均衡が保たれたことなどから、戦争ができなくても他国の侵攻を受けず、平和を維持できたのだという。

 だが、冷戦は終わり、東アジアのパワーバランスも変わりつつある。いま懸念されるのが、台湾有事だ。

 元陸上自衛隊東部方面総監で、日本の有事や現代戦争、米中戦争をテーマにした著書を持つ渡部悦和氏は「台湾有事が、日本の有事に発展する恐れがある」と危機感を募らせる。

 どういうことか。中国と台湾の“内戦”に米国が介入すると、在日米軍基地が攻撃目標になる。弾道ミサイルが撃ち込まれれば、同時に日本の領土への攻撃となる。日本もその戦争に組み込まれていき、「各務原の岐阜基地や航空機産業も、優先度は高くないが攻撃対象になる」とシミュレーションする。

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 緊張感が高まる東アジア情勢。弾道ミサイルに対する県内の対応は-。実は現在進行形で対策が練られていた。岐阜基地と各務原市を取材した。

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 1945(昭和20)年8月15日の太平洋戦争の終戦から、今年で77年になる。時代を変えるほどの長い年月だが、この77年間、日本は再び戦火にさらされることなく、平和を維持してきた。だが、国際情勢は刻一刻と変化している。教訓として当時の記憶を継承する意義は大きいが、そのまま現代の仕組みに当てはまるわけではない。今は今なりにどう平和を守るか考えなければならない。緊迫する国際情勢。もし、日本が戦争に巻き込まれたら。その時、岐阜県は-。平和の行く末を考えた。

<第3回「有事に備える」に続く>