中世の位階叙任記録である「歴名土代」に三木自(より)綱の嫡男・宣(のぶ)綱が1576(天正4)年12月12日に従五位上へ叙任され、同日、侍従となった記述がある。
続いて79年に「生害」とある。
生害とは自害のこと、天正7年と言えば、自綱が松倉城を築城した年。これ以上の記述はなく自害の理由は定かではないが、父自綱が実子をも殺害する血も涙もない暴君である象徴的事件とされている。...
中世の位階叙任記録である「歴名土代」に三木自(より)綱の嫡男・宣(のぶ)綱が1576(天正4)年12月12日に従五位上へ叙任され、同日、侍従となった記述がある。
続いて79年に「生害」とある。
生害とは自害のこと、天正7年と言えば、自綱が松倉城を築城した年。これ以上の記述はなく自害の理由は定かではないが、父自綱が実子をも殺害する血も涙もない暴君である象徴的事件とされている。...