利用者が行き交う警察署の玄関。署員は2時間近くにわたって女性をなだめ続けた=岐阜市内

 「うるさい。触るな。いらんこと言うな」。今年7月、岐阜市内の警察署の玄関で白昼、高齢の女性が取り乱した様子で大声を上げた。女性は7人もの署員に取り囲まれていた。傍らにたたずむ夫は対照的に押し黙り、ひどく疲れた表情を見せていた。

 わめく女性を署員は何度となく制し、なだめたが、聞き入れない。次第にエスカレートし、女性は署員を手で押しにかかった。「時間確認、時間確認」「押すんじゃない。公務執行妨害になるぞ」。署員たちの怒気が増していく。うち一人がしびれを切らし、夫に了解を求めるように告げた。「別室行くよ」。夫婦は署員に促されて玄関を離れ、上の階に連れられていった。女性の声が響き始めてから2時間近く。警察署は表向きは平穏を取り戻した。

■発端は落とし物

 事のいきさつはこうだ。女性は昼間、街で落とし物を拾い、持ち主に直接届けようとした。落とし物に見覚えがあったのか、近くにいた人が代わりに持ち主に渡しておくと提案したが女性は応じず、次第に口論めいていく。収拾がつかなくなって警察署を訪れ、署員が落とし物を渡すよう促したところで、態度が急変。怒り始めたのだという。見た目にはどこにでもいるおばあさんの、突然の豹変(ひょうへん)だった。「お父さん殺すんか」「絶対に渡さない」。日が暮れる頃になっても、興奮は収まらなかった。

 「通報するべきか」-。男性署員が分厚い本を手繰った。「現場警察官権限解説」。くたびれたページの至る所に赤色ボールペンの線が引かれ、おびただしい数の付箋がのぞいていた。

 女性には、精神疾患の症状に起因する自傷他害の恐れがみられた。自分を、または他人を傷つける危険性だ。精神保健福祉法は、こうした人を見つけた警察官に最寄りの保健所へ直ちに通報する「警察官通報」を義務づける。行政が公費負担で精神科病院へ措置入院させるなど、当事者と医療をつなぐことで自立や社会復帰を支援するといったセーフティーネットとしての機能がある。条文から「23条通報」とも呼ばれる。

■いびつな構図

 ピークの2014年度には県内で約1400件を数えた通報が近年、減っている。20年度は200件と約7分の1にまで減少した。

 県警関係者によると、警察官通報の減少は県など関係機関との連携過程で通報要件を見直してきたためだという。診察の結果「要措置」となった場合の入院先となる県指定医療機関の一つ、岐阜病院(岐阜市)の鈴木祐一郎理事長は「法の趣旨に沿わない通報が相次いでいた時期があった。ある意味、正常化したのだともいえる」と指摘する。

 一方、措置入院の要否判断に必要な「措置診察」に至らないケースが約9割を占め、多くがその前段階に当たる調査で止まっていることが分かった。背景を探ると、県保健所が調査の際に国の想定とは別に独自とみられる判断で「診察不要」とするなど、本来は連動するはずの各機関の間にあるいびつな構図が見えてきた。

 【精神保健福祉法】 精神障害に関する、医療と福祉についての法律。精神障害者の医療や保護とともに、国民の心の健康増進を図るのが目的。精神科病院への入院に関して定めるほか、障害者総合支援法と併せ、社会での自立した生活を支援するとしている。

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 精神疾患の当事者を支える仕組みは適正か。複数の警察官らが明かした現場の実情、精神医療や自立支援に携わる関係者への取材を基に、実態を追った。


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