江戸期から明治初年は村名としてあり、現在は岐阜県関市下之保(旧武儀町)の字(あざ)として残っています。権現(ごんげん)山(標高524メートル)の南麓から流れ出し、津保川に注ぐ轡野川が流れているのどかな山あいの集落です。

 由来は定かではありませんが、先週の当欄で紹介した多治見市の「泥障懸(あおりかけ)」と同様、馬具との関係が連想されます。「轡」は、馬の口にくわえさせ、手綱を付けてあやつるのに用いる金属製の馬具。旧武儀町には他にも、製鉄する際に炉に空気を送り込む道具・鞴(ふいご)を意味する「タタラ」と同じ読みの「多々羅」という地もあります。古くから刀剣の生産や鍛冶が盛んな関市との関係があったのかもしれません。

 轡野地区の奥には、落差15メートルほどの乙女滝があります。猟師に撃たれて滝つぼに落ちた大きなイノシシが、天狗(てんぐ)に変わったという民話が伝わっています。(『角川日本地名大辞典』などを参照)

 

【答え】くつわの