共同授業について意見を交わす「社会科カリキュラム研究会」メンバーの中学校社会科教員らと筆者(右手前)=岐阜市加納大手町、岐阜大付属小中学校

◆学校と社会、結びつける

 筆者の専門はカリキュラム論です。これは、学校における教科のあり方やその学びを考える分野です。教科は社会科をターゲットとしています。

 例えば政治の学習。小学6年で民主主義とは何かを学び、中学では公民分野で民主主義を「手続き」と「結果」に分け、それぞれの効果と限界を議論します。高校になると民主主義を一つの思想と捉え、さまざまな思想との関わりやその関わりを現実社会と重ねて私たちの社会の構造を分析します。

 一見、学びが深掘りされているようにみえます。が果たして、小学校から高校まで同じテーマを段階的に設計したところで、子どもたちは学校での学び(例えば民主主義思想)を現実社会で応用できているでしょうか。学ぶ内容や方法の選択と配列の妥当性、またそれと子どもの関心の接続、学校と社会をつなげる在り方を考えています。

 では、何をどのように設計すれば、子どもたちはより「前のめり」になって学ぶでしょう。前のめりというのは学ぶ動機を感じ、自分の問題として捉え、学びを自律的に社会へ応用するという意味です。正直、これはよくわかりません。正解がないから面白いのです。

 "前のめりの学び"を展開する一つのネタとして、サブカルチャーから社会を読み解く授業をよく考えます。例えば音楽を用いた社会科。紅白歌合戦に出るようなアーティストの曲を分析し、曲が内在するジェンダーやマイノリティーの問題を読み解きます。映画や漫画が意識的もしくは無意識的に描く社会を教材として現実社会を見つめます。サブカルチャーは社会を引き受けて作り出されているものが多く、子どもたちはそれらが描き出す社会や思想へ無意識的に巻き込まれています。大人に見えない子どものリアルな社会は、そこにあるのです。

 これを授業化する際、教員と協働で創(つく)り上げる過程に面白さがあります。私は現場の教員らと「社会科カリキュラム研究会」を構成しています。多忙な教員メンバーですが案外、前のめりになって考えてくれます。教員が社会のリアルを取り上げ、楽しんで授業化することで、授業後も議論を交わすほど子どもたちにも熱が入ります。教員が想定した以上の展開、深まりが教室内のあちこちで勃発します。こうなると面白さはぐっと増します。教員はまた別のネタを探し始め、ネタによっては他教科の教員との共同授業が生まれるのです。

 大学の研究者である私は現場の教員に対し、①授業づくり(教材研究)の可能性の提案、②教師の自律性の支援、を行っています。教員や教科、学校と社会そのものをつなぐハブの役割を担います。ここで重要なのは目的や問題意識の共有です。教員と研究者の役割の分断ではなく、互いの強みを生かしてそれを一つの目的へ落とし込む「仕掛け」を一緒に考える作業が大切なのです。動機を共有するためにできることを探る議論ができたら、共同で授業を創る意味があると考えます。

 学びのきっかけは常にどこにでもあります。大切なのは、目の前の事象に興味を持ち、それを読み解く視点です。この視点が自律的な学びにつながり、その後の子どもの生き方を変えていくと考えます。卒業後の長い人生でどのように社会を捉え、分析し、コミットしていけるのか。学校でできる「仕掛け」をこれからも考えていきます。