人生、“運命の出会い”はどこに隠れているかわからない。

 ゴロ先生が石ノ森章太郎先生の石森プロに入ってすぐに手がけた仕事は、すがやみつる先生のアシスタントだった。すがや先生も最近、『仮面ライダー』の原稿を月産300~400枚描いていた時代の回想録「コミカライズ魂」(河出書房新社)を上梓(じょうし)されたが、まさにそのお手伝いをされていたのだ。その時に、すがや先生が仕事場の潤いを兼ねて女性の応援を頼んだ。その中に未来のゴロ夫人、現ペンネーム・ココア先生がいた。そのときはそれでおしまい。後日、ゴロ先生が石ノ森先生の『人造人間キカイダー』(1972年)の作画チームの一人に選ばれた際に“運命”は大きく動く。

すがやみつる著「コミカライズ魂『仮面ライダー』に始まる児童マンガ史」(河出書房新社)

 ゴロ先生が独断でココア先生を応援に呼んだのだ。当時、石ノ森先生が名誉会長を務める肉筆同人誌「墨汁三滴」の会員で、漫画家を志していたココア先生は、喜び勇んで石森プロに駆けつけた。すると三滴の先輩で、同様に作画チームに選ばれた細井雄二先生がおり、「あれっ? 何しに来たの?」と驚いた。全く話が通っておらず、ゴロ先生が独断で自分を呼んだことを知ったココア先生は顔から火が出るほど恥ずかしかったという。だが、優しい先輩方に迎えられ、しばらくいっしょに手伝うことに。

急接近してデートを重ねたゴロ先生とココア先生(背景の海は合成)

 最初はゴロ先生に反感を抱いていたココア先生も、いつしか二人で買い物に行ったりする仲に…。二人で歩いているとゴロ先生は肩で風を切り、人にぶつかって小競り合いになることも。ゴロ先生いわく「なめられたらおしまいだ」。ある時、ゴロ先生はココア先生の前で嗚咽(おえつ)した。それまでずっと虚勢を張って生きてきたゴロ先生の心の緊張の糸が何かのきっかけで切れたのだ。その姿がココア先生の心の琴線に触れた。

 「泣かれたので少しだけ同情しました。それからは少しずつ優しくできたと思います(笑)」

最前列中央に新郎ゴロ先生・新婦ココア先生が収まる結婚式の記念写真。ゴロ先生の左が石ノ森先生、ココア先生の右が利子夫人。最後列向かって右から4人目がゴロ先生を面談した加藤昇氏。長年にわたり石ノ森先生のマネージャーを務めた。その左が石森章太郎ファンクラブ会長・青柳誠氏(後に石森プロに入社)

 二人はほどなく結婚した。ゴロ先生が22歳、ココア先生21歳。仲人は石ノ森先生だった。ほぼ同時にゴロ先生は石森プロを去るが、同プロの加藤マネージャーは二人の門出に粋な祝儀を贈った。“外注仕事のあっせん”だ。結婚・独立したゴロ先生夫婦にとってこれほどありがたい贈り物はなかっただろう。『アクマイザー3』(75年)や『ロボット110番』(77年)などの石ノ森先生原作はもちろん、科学・伝記漫画など多彩な仕事が舞い込んだ。

「ロボット110番傑作選①」(テレビランド・コミックス/徳間書店)
徳田ザウルス作「ダッシュ!四駆郎①」(小学館)

 新婚早々、多忙を極めたゴロ先生はアシスタントを頼むことに。その中には後にTVアニメ化もされた『ダッシュ! 四駆郎』(87年)の作者・徳田ザウルス先生や『爆転SHOOT ベイブレード』(99年)の作者・青木たかお先生もいた。ある日、アシスタントの一人の雑誌デビューが決まった。だが、彼は締め切り直前に突然姿を消した。とても絵のうまい青年だった。八方手を尽くして捜すと彼は実家に帰っていた。

 「電話に出たお母さんに、泣きながら“もう勘弁してやってください”と言われました。彼は締め切りまでに原稿が描けなかったんです。締め切りの厳しさは物描きなら誰もが知るところです」

 どの世界でも志半ばで…は、よくある話だが、そう語ったゴロ先生の表情は少し淋(さび)し気だった。

(特撮・アニメ研究家 岩佐陽一)

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 山田ゴロ先生は、石ノ森章太郎原作の仮面ライダーシリーズ、人造人間キカイダーなど、多くの作品に携わりました。読者の皆さんから作品の思い出、先生へのメッセージ、イラストを募ります。はがきに住所、名前(ペンネーム可)、年齢、電話番号を明記し、〒500-8577、岐阜市今小町10、岐阜新聞社「山田ゴロ」係まで送ってください。