ゴロ先生が22歳、ココア先生が21歳のとき二人は結婚した。当初、双方のご両親をはじめ周囲は猛反対。だが、あっさりOKになった。石ノ森章太郎先生が仲人になったからだ。ゴロ先生は独立した。石森プロ通しで石ノ森先生原作のコミカライズをはじめさまざまな原稿依頼が舞い込み、アシスタントを雇わなければいけないほど仕事は殺到した。ほどなく長男の雅俊さんが生まれるが、アシスタントに囲まれながら成長していくこととなる。

ゴロ先生、ココア先生、雅俊さんの家族写真

 ゴロ先生いわく「仕事場は別でしたが、食事や遊び、旅行に行くのも一緒でしたからほぼ彼らの中で育った感じです。われわれ漫画家の生活を見ていたせいか“漫画家になりたい”と言ったことは一度もありません(苦笑)」。

 雅俊さんは高校の3年間、陸上部に入り、スポーツに明け暮れた。確かにゴロ先生の高校時代とはある意味、“真逆”だ。

 当のゴロ先生は宮本武蔵や勝海舟、徳川家三代の伝記、昆虫や恐竜の生態、長野や宮城など県の歴史、さらに『とびだせ! マリオ』(1991年)や『たたかえ! ロックマンX』(94年)のコミカライズなどなどを続々と執筆。作品の幅の広さは師匠の石ノ森先生譲りかもしれない。

 多忙を極める中、ゴロ・ココア両先生は自動二輪、オートバイの免許を取得。そのきっかけはやはり『仮面ライダー』だった。

 「『仮面ライダー』を描いていて免許がないのも…ということで、二人で取りに行きました」

山田ゴロ先生(右)、ココア先生の勇姿。全国的にも大型二輪免許を持つ女性ライダーは非常に少なかった

 結果、夫婦共通の趣味“ツーリング”を持つことに。そのきっかけをつくったのは中島昌利先生との出会いだった。あるときゴロ先生が徳間書店に立ち寄ると、中島先生が漫画を描いていた。中島先生も当時「テレビランド」で『キューティーハニー』(73年)のコミカライズを執筆していた。そこでゴロ先生が自己紹介したことが縁となった。

 「その後、『がんばれ!! ロボコン』(74年)を手伝ってもらってから、彼がよくうちに遊びに来るようになって。漫画家仲間で遊び友達というのは彼が一番最初でしたね」

「学研まんが伝記シリーズ 宮本武蔵」(学習研究社)より、武蔵が二刀流を会得するスピード感あふれるシーン。戦隊モノの変身シーンにも通じる迫力がある

 実はオートバイも中島先生の影響が強い。バイクは中島先生が先輩だった。

 「中島君のところにバイク仲間が大勢いて。だいたいツーリングに行くときは、彼が親分みたいになって引き連れて行くんです。そこにわれわれも加わりました」

 ずっと漫画一辺倒できたお二人が初めて持った共通の趣味は実にアウトドアだった。その事がゴロ・ワールドをより広げたように思う。

「ロックマン&ロックマンX大図鑑」(講談社)

 そしてゴロ先生のご長男の雅俊さんはその後、亜細亜大学を経て中央大学の大学院に進学。“経営戦略”を専攻後、今では玉川大学の教授として教鞭(きょうべん)を振るっている。ゴロ先生も今、江戸川大学で非常勤講師をされている。トビがタカ、ではなくまさにタカがタカを生んだのだ。

(特撮・アニメ研究家 岩佐陽一)

◆お便り募集!

 山田ゴロ先生は、石ノ森章太郎原作の仮面ライダーシリーズ、人造人間キカイダーなど、多くの作品に携わりました。読者の皆さんから作品の思い出、先生へのメッセージ、イラストを募ります。はがきに住所、名前(ペンネーム可)、年齢、電話番号を明記し、〒500-8577、岐阜市今小町10、岐阜新聞社「山田ゴロ」係まで送ってください。