本連載を思い立った理由の一つに、山田ゴロ先生の“現在の肩書き”がある。それは「怪談師」。怪談を語る弁士だ。15歳ほど年下の知人に「怪談師の山田ゴロ先生って昔、『仮面ライダー』のコミカライズを描かれていたんですね!? 全然知りませんでした」と言われた時の衝撃。漫画家ではなく怪談師として認識されているとは!? 今や人気怪談家「ぁみ」さんや西浦和也さん、三木大雲さんらとも親交があつく多くのイベントに参加している。

『妖ばなし』メイキング・オフショット。ゴロ先生はぬらりひょん役

 そこに至る経緯として、他のどの漫画家よりも早くパソコン(マッキントッシュ)を使い“デジタル導入”をした事実が挙げられる。もっぱら起動・設定・操作は妻のココア先生が担当されたそうだが、紆余(うよ)曲折を経てデジタルで描く漫画家の組織「J―Mac」代表やデジタルマンガ協会事務局長を務めるまでに。その際、「キーボード操作に慣れるために」と、ミクシィに書き始めたのが“怪談”だった。それを見たある怪談師から怪談会に招待され、その場でサプライズ的に怪談噺(ばなし)をしたことが始まり。あれよあれよという間に人気怪談師となり、DVDまで発売されることになった。

DVD「怪奇蒐集者 山田ゴロ 2」

 そこから派生して、関東ローカルのテレビ局「TOKYO MX」で放送された『武蔵忍法伝 忍者烈風』(2015年)という特撮ドラマの劇中イラストを手がけ、さらに出演まで果たす。同時期にはデジタルマンガ協会としてビデオ映画の『龍帝 DRAGON EMPEROR』(16年)に協力および特別出演。そして『忍者烈風』のスタッフが手がけたホラードラマ『妖(あやかし)ばなし』(18年)では脚本・出演はおろか監督まで務めた。思えば師匠・石ノ森章太郎先生も『仮面ライダー』(1971年)を筆頭にテレビ番組のキャラクター・デザインを手がけ、俳優としても自作に出演。数本、監督もしている。漫(萬)画家としてテレビやラジオの出演、講演も多数。さらに『マンガ日本経済入門』(86年)や『マンガ日本の歴史』(89年)など、幅広いジャンルの作品を執筆された。

日本の裏社会を描いたビデオ映画『龍帝』(市原剛監督)に〝昭和最後の侠客〟獅子王会会長・獅子尾猛将役で出演したゴロ先生(中央)
2011年に宮城県石巻市で開かれた石ノ森章太郎ふるさと記念館での3・11復興イベント「ふるさと・回帰展」ポスター

 同じように石森プロ出身の作家で、ここまで石ノ森先生の経歴を踏襲しているのはゴロ先生ぐらいではなかろうか? 今改めてゴロ先生が石ノ森先生の正統な継承者である事実を再認識する次第だ。連載の最後に、55年前のゴロ先生ともいうべき漫画家を志す16歳の高校生、もしくは未来ある10代の若い皆さんにメッセージを頂いた。

母校・岐阜聖徳学園高校の文化祭での原画展を訪れたゴロ先生(前列中央)

 「人は望めばなりたいものになれると、僕は思っています。僕の場合、それが漫画家だったのです。何かになることよりも、もっと難しいことがあります。それは、ずっとその仕事をし続けるということです。漫画家になれた。しかし、それはゴールではありません。ずっと漫画家でいるためには“志”が必要なのです。人を喜ばせ、幸せにできる。そんな漫画家になりたい。それが僕の志です。志は一生続きます。みなさんも志を立ててまっすぐに突き進んでいってください」

 ゴロ先生は昨年末、70歳の節目に、足かけ15年勤めた江戸川大学の非常勤講師を退かれた。ゴロ先生の新たな“志”と挑戦に期待したい。

熱烈なファン半澤雄一さん家族と写真に収まるゴロ先生。半澤さんは愛知県から岐阜県まで行き、連載が載った岐阜新聞を買い求めている

(特撮・アニメ研究家 岩佐陽一)

※ この企画は今回で終了します