8時間かけて煮上がったコイの甘露煮=今月9日、加茂郡八百津町錦織、いこい
ナノハナが添えられたコイの甘露煮=同

 岩壁の間に深い緑色の水が映える岐阜県加茂郡八百津町の蘇水峡。山から流した木々を筏(いかだ)に組んだかつての「綱場」の近くに、マツタケやコイなど四季の料理で知られる日本料理店「いこい」がある。

 「もとは川べりにあって、水が出ると家が流れそうになって…」と大おかみの丹羽直子さん(72)は笑う。丸山ダム(1956年完成)の建設に伴う立ち退きで、現在の地に移った。

 

 作業員宿舎が周囲に立ち並んだ当時は宿泊するダム関係者を木曽川の川魚でもてなした。店で出す魚を釣る父清治さんに連れられ、舟で川に出たことを懐かしむ。「ウナギやハエ、フナ…。なにせ昔は海から入って来ることはなかったから」

 中でもコイは看板メニューだった。山間の地の貴重なタンパク源で、母乳の出を助けるとも言い伝えられた郷土食。じっくり炊き上げた甘露煮、新鮮な刺し身の「洗い」、丸ごと揚げてあんをかけた唐揚げもあった。

 店の厨房(ちゅうぼう)を長く担ったのは、直子さんの母芳香さん(95)だった。山を隔てた可児郡御嵩町の食堂から嫁いだだけに料理上手。京都の日本料理店の修業から戻った孫で社長の孝文さん(48)も「特に煮物は、さすがや」とうなった。

 それだけに名物のコイの甘露煮は作り方を踏襲する。「地元で愛された味をいじる勇気はない」。ただ、調味料を入れるタイミングや火加減の調整であめ色の仕上がりや照りに磨きをかけた。

 八百津町民になじみ深い名店には、「命のビザ」で多くのユダヤ人を救った町出身の外交官杉原千畝(ちうね)氏も訪れている。モスクワの商社勤務に区切りを付け、大広間で親族に囲まれた76~78年ごろの帰国祝いの写真には、コイの掛け軸が写り込む。

 「八百津を代表する景観の地で、川の幸、山の幸の古里の味を楽しんだのだろう」と「身近な杉原千畝を研究する会『千畝を知ろう』」の和田義昭代表(80)。杉原氏にとって蘇水峡は、旧満州(中国東北部)から一時帰国した32年に初婚の妻や家族らと舟遊びをした思い出の地でもある。

 この時季の「寒(かん)ごい」は、脂が乗っておいしさが増す。店で扱う川魚の比率は減ったが、コース料理で魚を選ぶ際、客の半数はコイを注文する。「コロナ禍で宴会がなくなり、作る量は少なくなったけど、灯(ひ)は絶えていない。残していきたい部分なんです」と孝文さん。若い人たちに味と魅力をどう伝えるかを模索している。

◆じっくりコトコト8時間

 刺し身の「洗い」やみそ汁の「こいこく」だけではないコイ料理。加茂郡八百津町錦織の日本料理店「いこい」で、名物の甘露煮の作り方を聞いた。

 「コイは淡泊な分、味が染まりやすい」と丹羽孝文社長。使うのは恵那市の川魚卸「河原淡水魚」から仕入れた養殖物で、井戸水にさらしてあり臭みがない。

 うろこを取り、輪切りにした身をまず素焼き。砂糖、濃い口しょうゆ、みりん、地場の醸造元が作るヤマコノの「調味の素」も少々加え、コトコトと鍋で8時間煮ると骨まで軟らかに。千切りのショウガを散らしてできあがり。12月末から4月の間に提供する。「冬場は皮と身の間の脂がとろけるようになり、おいしい」。一切れ850円で、持ち帰りもできる。