遠くに望む乗鞍岳に雪が舞い始める頃、高山市の地場スーパー「駿河屋」で塩ぶり作りが始まる。加工施設の一角にブリの箱が山と積まれ、文字通り大ぶりの身に塩が振られていく。
無料クイズで毎日脳トレ!入口はこちら大みそかの晩にごちそうを食べる伝統の「年取り」に欠かせない「塩ぶり」の漬け込み。塩を振るのは、まず目玉。次いでひれの裏。染み込みやすいのだという。皮には擦り込む。裏返すと、骨や血合いから身全体に広げていく。
「塩ぶりに向いてるのは、頭が小さくて、むっくりしたブリやね」と鮮魚一筋57年の小笠原清英参与(72)。天然物では富山・氷見産や新潟・佐渡産が多かったが、温暖化でブリの南下が遅れるようになり、北海道産もよく使う。
1933年に前身の「魚一商店」を興し、終戦の年から塩ぶりを作り始めた故溝際一男初代会長に学んだ。「味を後世に残したい」という一男さんの熱意を受け、経験と勘が頼りの塩加減を使った量から逆算、数値化したことも。
冷蔵技術が発達し、健康志向も高まった今は塩を減らし、甘めに仕上げる。使うのは、まろやかなからみの海の天然塩。「塩ぶりは塩で決まる」。製法は社内で3人しか知らない秘伝だ。
高山でなぜ塩ぶりを食べるのか。元市史編さん専門員の田中彰さん(71)は、「根底に越中(富山)と高山の魚の消費文化がある」と指摘する。山間の地ながら、飛騨を治めた金森氏が良材や鉱山資源搬出のため街道を整備したおかげで、江戸時代から豪商は刺し身を味わった。
主な経路は越中中街道で、富山湾から崖を通る難所の割石を経て、上二之町の川上魚問屋までを歩荷が3日で運んだ。保存のため塩を利かせたブリはその頃の名残で、縁起のいい出世魚として野麦峠を越えた信州でも珍重された。
新年を迎え、数え年で年齢を重ねたことを祝う「年取り」にふさわしい。高価で庶民には高根の花だったが、うまみが凝縮した海の恵みは飛騨人を魅了する。「おいしい味は頭に焼き付き、『よそに行っとっても帰らなあかん』と家族の絆になる。年配の人と若い人をつなぐ文化の接着剤でもある」と田中さんは言う。
駿河屋3代目の溝際清太郎社長(37)は「心に染みるおいしさがある」と評する。「この1枚が一家の大ごちそうになるんや。それを考えて漬けなあかん」。今年は600匹。一男さんの言葉を胸に、自ら塩を振るった。