トートバッグにパソコン、スマホ、洗顔セットを入れて、運行バスに乗り込む。着いたら3時間パック(大浴場&岩盤浴・タオル、室内着付き)をカウンターで申し込み、支払いタグのついたリストバンドを腕につけ、レーンをくぐる。室内着は男女兼用を合わせて5種類。その中から今日の気分にと、赤い水玉のものを選ぶと、女湯の暖簾(のれん)をくぐる。ここはどこか。言うまでもない。スーパー銭湯だ。
小タオル片手に「今日の日替わり湯」につかり、外に出ると石造り風の広い露天風呂に体と気分をほぐす。平日の空(す)いている時だと露天風呂の中で軽くストレッチ。天衣無縫といえば聞こえがいいが、いい年した大人の素っ裸のリラックスだ。だが実はこんなことをしているのにも理由がある。「野口さんは、小説を書くのに『小説を書こう!』という肩の力みが入りすぎているんですよね」。そんな指摘を過日編集者と小説家の友人から受けたのだ。「野口さん、書こう! って体勢になってない? 他のエッセーはすごく自然体なのに」「そう言えば、小説はちゃんと書こうと思って、デスクで書いてる。エッセーや短歌はこたつや布団の中でぽちぽち書いてるのに」「そこだよ!」「わかった! じゃあ、脱力して肩に力みが入らない状態を作るわ!」
流行(はや)りの「サウナで整った」体にコーヒー牛乳を流し込み、ぽかぽかの体にざっくりした室内着を着ると、トートバッグを持ってヒーリングスペースへ。ここにはいわゆる「人をダメにするクッション」が沢山(たくさん)あって、皆思い思いに漫画を読んだり眠ったりしている。「人をダメにするクッション」にもたれかかりながら、ゆるゆると執筆を始めると、リラックスした心と体が連動して、なめらかに筆は進んだ。
頑張ると力むは違うらしい。そんな当たり前のことが最近わかってきた。頑張るというのはまさに「do my best」。ベストを果たすという意味。でも力む、には、そのベストを果たしたいがための欲や焦り、緊張が含まれている気がする。
ここぞというプレゼンやイベントで、「いやあ、緊張しますねえ」。そう自ら言って緊張を自分からほぐしに行く人がたまにいる。これも一つの力みを取る方法だろう。そう考えると力みの取り方はいろいろありそうだ。さて、露天風呂で温まった指がまた次の物語を紡ぎ出す。頑張っているが力んでいない。手も心も柔らかい。
岐阜市出身の歌人野口あや子さんによる、エッセー「身にあまるものたちへ」の連載。短歌の領域にとどまらず、音楽と融合した朗読ライブ、身体表現を試みた写真歌集の出版など多角的な活動に取り組む野口さんが、独自の感性で身辺をとらえて言葉を紡ぐ。写真家三品鐘さんの写真で、その作品世界を広げる。
のぐち・あやこ 1987年、岐阜市生まれ。「幻桃」「未来」短歌会会員。2006年、「カシスドロップ」で第49回短歌研究新人賞。08年、岐阜市芸術文化奨励賞。10年、第1歌集「くびすじの欠片」で第54回現代歌人協会賞。作歌のほか、音楽などの他ジャンルと朗読活動もする。名古屋市在住。