コロナ禍の今、密(ひそ)かに取り組んでいる事がある。知ったかぶりで読んだことがなかった名作を読む事だ。

 手始めに、映画にもなった谷崎潤一郎の「細雪」に挑戦。文庫本でも幅4センチの分厚さにどんな物語が始まるかと思えば、なんと造作ない。この小説、四人姉妹の三女の見合いがまとまるか四苦八苦するだけで終わってしまうのである。その中にあっては「見合いの日程と体裁がなんか嫌」「顔のシミが目立たないか気になってしょうがない」「使用人の躾(しつけ)が悪くてどうしよう」などという、四人姉妹のガールズトークが延々と繰り返される。馬鹿馬鹿しい、と思いながら、名作とは、人の心理の俗っぽささえ普遍性を突くからこそ名作なのだろう。

 次に手に取ったのは「アンネの日記」である。第2次世界大戦のユダヤ人迫害のため、「隠れ家」で2年以上を過ごし、収容所に送られ死亡した時期が終戦の足音とぴったりだったということもあり、悲劇のヒロインとして語られがちなアンネ。しかし今回読んでみて思ったのは「戦時中、ユダヤ人という属性以前に、アンネは普通のお年ごろの女の子だったのだな」ということだ。

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(撮影・三品鐘)

 13~15歳の少女なら誰もが持つ、家庭に縛られた母親がつまらない存在に見え、自分だけは女であっても自立したいと願う心、恋した男の子が馬鹿に見えて落胆する心、そして、やっぱりエッチな事に興味津々!な心。

 戦争の痛ましさを語ろうとすると、アンネは生きていたらきっと立派なジャーナリストになっただろう、という声は多発する。だが残酷かも知れないが私はそうは思わない。この、名作には変わりない「アンネの日記」は、古今東西、思春期の女の子の悩みはどこも同じだという、生々しく力強いエネルギーを感じさせる日記以外の何ものでもないと思うのだ。私だって、そんな生々しい日記を実家の奥深くに持っている。一生、読み返すつもりすらない。だからアンネが思春期の葛藤を戦時中の逆境の中でもこうして書きしるし、今なお私たちの思春期を思い出させてくれる事に深い感謝を覚えるのだ。

 名作の物語はごくありふれた事。そして、登場人物はいつかの私たち。皆さんも、ぜひ手を伸ばしきれなかった本に挑戦してほしい。


 岐阜市出身の歌人野口あや子さんによる、エッセー「身にあまるものたちへ」の連載。短歌の領域にとどまらず、音楽と融合した朗読ライブ、身体表現を試みた写真歌集の出版など多角的な活動に取り組む野口さんが、独自の感性で身辺をとらえて言葉を紡ぐ。写真家三品鐘さんの写真で、その作品世界を広げる。

 のぐち・あやこ 1987年、岐阜市生まれ。「幻桃」「未来」短歌会会員。2006年、「カシスドロップ」で第49回短歌研究新人賞。08年、岐阜市芸術文化奨励賞。10年、第1歌集「くびすじの欠片」で第54回現代歌人協会賞。作歌のほか、音楽などの他ジャンルと朗読活動もする。名古屋市在住。

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