先日、毎回お世話になっている名古屋市千種区にある書店「ちくさ正文館」に訪れた。いつも沢山(たくさん)の仕事のアドバイスをくれる店長の古田一晴さんに挨拶(あいさつ)しようにも店は絶賛棚卸しの真っ最中。古田さんはいつもの饒舌(じょうぜつ)さに、さらに疲れも増して「仕事嫌だ!! 本当に嫌だ!!」と言いながらあっちの本を運んでは歩き回り、こっちの本を積んでは歩き回り、それでも相手をしてくれる。つい軽口が高じて「古田さん、嫌だから仕事なんですよ」というと古田さんはびっくりしたように「うわあ、大人デスねー、ボクオトナキライ!」と笑いながら、いそいそと棚の奥へ逃げていってしまった。なんと...。本屋のお仕事をしながら毎週のように締め切りを抱える古田さんが、「ボクオトナキライ!」と言い出すものだから思わず笑いがこみ上げる。

 しかし、成人した人で自分のことを大人だと思っている人はいい大人なんだろうか。なかなかそんなことはなくって「心は少年」と言い張っている面倒な勘違いおじさまも多いのだが。

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(撮影・三品鐘)

 大人とはなんだろう。そう思って周りに「自分のこと大人だと思う?」といろんな人に質問をしてみた。すると答えは「ある部分では大人だけどある部分は...(とても言えない)」というものがほとんど。「この歳(とし)って子供の頃から見たら十分に大人だったのに」「子供を持ったら大人になれると思ったのに」というものばかりだ。ある40代の誕生日を迎えた友人に「精神年齢は幾つで止まってる?」と聞いたら「とても言えない...周りにしばかれるから」と言っていた。

 というわけで、今日もスーツを着たオトナコドモたちは、社会規範を守りつつ道徳から外れる誘惑に抗(あらが)いながら、自分の幼さと格闘しているのだろう。そう思うと、大人というのはある人格や状態ではなくて、自分の身勝手さや幼さと格闘することそのものなのかもしれない。

 毎日がお子様(さま)ランチですまない私たちは、社会と自分の幼さとに嫌気がさしながら、体に悪いだけの煙草(たばこ)を吸い、苦いだけのコーヒーを飲み、時にギトギトの豚骨ラーメンを召し上がる。コドモだったらきっとわからなかった理不尽と不条理の美味(おい)しさを頂戴(ちょうだい)しながら、今日もこの世を彷徨(さまよ)うのだ。


 岐阜市出身の歌人野口あや子さんによる、エッセー「身にあまるものたちへ」の連載。短歌の領域にとどまらず、音楽と融合した朗読ライブ、身体表現を試みた写真歌集の出版など多角的な活動に取り組む野口さんが、独自の感性で身辺をとらえて言葉を紡ぐ。写真家三品鐘さんの写真で、その作品世界を広げる。

 のぐち・あやこ 1987年、岐阜市生まれ。「幻桃」「未来」短歌会会員。2006年、「カシスドロップ」で第49回短歌研究新人賞。08年、岐阜市芸術文化奨励賞。10年、第1歌集「くびすじの欠片」で第54回現代歌人協会賞。作歌のほか、音楽などの他ジャンルと朗読活動もする。名古屋市在住。

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