雪山を滑り降りる爽快感を語る宮下紀子さん=高山市国府町桐谷

 岐阜県高山市国府町桐谷で暮らし、家族とリンゴ園を営む宮下紀子さん(72)は往年の名スキーヤーだ。20代の頃はアルペンスキーW杯で世界の強豪と競い、スキーの理解度と技術の高さを示す国内最高峰の基礎スキー大会を3連覇。日本のスキー教程を体現する一人で、スキー教師も長く務めた。ウインタースポーツへの注目が集まる北京冬季五輪を控え、より多くの人にスキーに親しんでもらいたいと願っている。

 宮下さん(旧姓上森)は、ひだ流葉スキー場近くの飛騨市神岡町伏方で生まれ育った。家族は農業と民宿をしており、父親がスキーをしていたことで兄と共に小学校高学年でスキーを始めた。雪が降ると同級生の男児と近くの山に行き、スキー板を担いで登って斜面を滑った。ひだ流葉スキー場がオープンすると、スキー場まで歩いて出掛け、滑走を楽しんだ。

 中学生でスキー競技に打ち込み、県大会で優勝。進学した飛騨市古川町の吉城高校、名古屋市の大学の短期大学部でもスキー部に所属して活躍した。

 就職した名古屋市の食品会社で社内報の作成などをしていた際、社長から「君はスキーをするのか」と聞かれ、競技歴を伝えたことで競技スキーを続けることになった。仕事とトレーニングの両立に励んで全日本の大会や国体などで上位に入り、1973年に国内で初開催されたW杯(新潟・苗場スキー場)の大回転競技にも出場。難コースを滑り切った。

 20代後半で実家に戻り、競技から、総合技術を競う「技術選」に転向。ひだ流葉スキー場や富山県の立山で練習を重ね、年250日ほど雪の上に立った。79年の全日本デモンストレーター選考会女性の部で2位、80年に始まった全日本基礎スキー選手権大会女性の部で2位。結婚して出産後の83、84、85年の同大会は3連覇した。当時のスキー専門誌に「男子も含めた参加選手の中で、もっとも自由に自分の滑りを主張して見せてくれた」と記された。

 ひだ流葉スキー場ではスキー学校の教師を務め、子どもから大人まで幅広い世代に雪国の自然に親しむ地域特有の楽しみを伝えてきた。昨季までスキーをしていたが今季は休み、スキーやスノーボードをする家族と過ごしている。

 一生をかけて続けてきたスキーだが、近年はひと頃のような活気や華やかさが見受けられないと感じている。宮下さんは「スキーはとても楽しく、先生や仲間に教えてもらいながら一生懸命に練習した」と振り返り、「もっと多くの人にスキーをしてもらいたい。子どもたちに雪上での歩き方やリフトの乗り方といった初歩を丁寧に教えてあげることが大切。そうすれば雪の上で皆が笑顔になれる」と話した。