天国に旅立ったラブミーチャンだが、笠松競馬場の存続に果たした功績はとても大きかった。
馬券販売が低迷していた苦しい時代、「笠松の快速娘」として先頭に立って、全国14カ所(地方、中央)の競馬場で走り続けた。その輝かしい戦歴をたどると、地方馬では「歴代最強牝馬」であることが判明。笠松の名を全国にアピールしてくれたのだ。
JRA馬とも対戦するダートグレード競走では、全日本2歳優駿(JpnⅠ)など5勝を飾ったラブミーチャン。魅力はゲートからのダッシュ力とスピード。現地実況では「笠松のラブミーチャンが先頭」などと、ハナを切って1着でゴールするまでその名を連呼してくれた。口取り写真の撮影や優勝セレモニーでは「ハマちゃん、おめでとう」などと応援するファンを喜ばせた。
■「赤字=廃止」100億円の大台を切ったら「やばい」
ラブミーチャンの競走馬生活は2009年秋から13年までの4年余りで、牝馬としては長く活躍した。この時代、笠松競馬は経営面で苦境に立っていた。05年度以降、競馬場は1年ごとに「赤字なら即廃止」という綱渡りの経営を続けていた。名古屋競馬でも04年には約40億円の累積赤字を抱え、存廃問題も浮上していたが、笠松競馬では借金が1円も許されない大変厳しい条件だった。
1980年度に約445億円あった馬券販売額は、存廃問題が浮上した04年度に約128億円まで激減。1年ごとの「試験的な存続」となり、12年度には106億円台まで落ち込み、1日1億円割れも目立つどん底状態となった。01年以降、上山(山形)、高崎(群馬)など10場がバタバタと倒れ、必死に耐えてきた荒尾(熊本)は11年に、福山(広島)は13年に廃止となった。笠松も100億円の大台を切ったら、本当に「やばい」状況となった。
主催者サイドは一貫して「競馬場経営に税金を投入しない。県民に説明できないから」という立場。実質単年度収支は年々厳しさを増し、「賞金・手当」を絞るだけ絞って、大幅カットされた騎手、厩務員らは苦しい生活を強いられてきた。基金を取り崩すなどして、何とか赤字化を回避していたが、暗いトンネルの出口が見えず「あと何年持ちこたえられるのか」という厳しい状態に陥っていた。
■中央馬圧倒するラブミーチャン「希望の星」
現場でできることは限られていたが、やはり「希望の星」ラブミーチャンのようなスターホースの存在は頼もしかった。個人的には微力ながら、ラブミーチャンの出走情報やレース結果を、岐阜新聞本紙のスポーツ面や社会面に出稿。「全国の競馬場で走り、こんなに頑張っている馬が笠松にいるんだ」と注目を浴びてほしい思いで、快速娘の応援をファンと一緒に続けた。
経営は苦しくても、中央馬を圧倒する強い一頭が笠松にいることは、競馬関係者や地元ファンも勇気づけられた。全国の競馬場で走ることは、笠松の名を高め、馬券販売の面でも貢献してくれた。笠松存続の生命線でもあったのだ。
「名馬の里」にとって、もちろんオグリキャップは第一の存在ではあるが、笠松での出走は3歳になった1月までで、中央へ移籍した。これに対してラブミーチャンは、デビューから34戦全て笠松所属馬として競馬場存続を長い間けん引してくれたのだ。
■JBCスプリント追い切りを取材
11年10月、岐阜市の本社から海津支局勤務になり、早朝、長良川・木曽川堤防沿いを車で走っていくと笠松競馬場に着いた。ラブミーチャンが地方・中央交流のGⅠ競走(JpnⅠ)の「JBCスプリント」に挑戦。追い切り取材に潜入した。
桜花賞トライアルのラブミーチャン追い切りには各地から取材陣約50人が殺到したが、この日、遠来の人影はなく寂しかった。それでも最終調整でラブミーチャンは好仕上がり。浜口楠彦騎手、柳江仁調教師も「GⅠ奪取」へ燃えていた。
笠松競馬の未来をも背負って走り続けたラブミーチャン。岐阜新聞の「フォーカスぎふ」で、社会面トップを飾った「GⅠ再挑戦、笠松競馬再興へ走れ」の記事を紹介する。
■ラブミーチャン惜敗、0秒2差4着
「第11回JBCスプリント」(1200メートル)が東京・大井競馬場で開催され、笠松競馬から参戦したラブミーチャンは浜口楠彦騎手の騎乗で4着だった。優勝は1番人気の中央馬スーニで、2、3着も中央勢。
牝馬でただ1頭挑戦のラブミーチャンは単勝6番人気。スタートはまずまずで、ジーエスライカーに続き2番手を追走。4コーナーから最後の直線で抜け出し、残り50メートルほどまで先頭だったが、中央勢の差し脚に屈した。勝ったスーニからは0秒2差の惜敗だった。
柳江調教師は「ゲートでややテンションが高かったが、僅差のレースができ、見どころがあった。けがもなく次につながる」とNAR年度代表馬の意地を見せ、地方馬最先着の4着に手応えをつかんでいた。
JBCスプリント・レース結果 ①スーニ1分10秒1(川田将雅)②セイクリムズン1馬身4分の1(幸英明)③ダッシャーゴーゴー頭(横山典弘)④ラブミーチャン首(浜口楠彦)⑤セレスハント1馬身(福永祐一)
■NAR4歳以上最優秀牝馬「勝負どころで底力」
ラブミーチャンはNARグランプリ2011の「4歳以上最優秀牝馬」に選出された。「東京盃」を中央馬との競り合いで2着となったほか、「JBCスプリント」でも地方馬最先着の4着。地方全国交流競走で3勝を挙げたことが評価された。 柳江調教師は「いつも予想以上に頑張ってくれる。性格は優しいが、勝負どころで底力を見せてくれる」と愛馬をたたえた。
厳しい経営が続く笠松競馬にとってラブミーチャンは希望を抱かせるスターホース。関係者らは「全国に名をとどろかせてほしい」とさらなる活躍を期待した。
■笠松グランプリで名勝負、エーシンクールディに連覇許す
5歳の秋、東京盃(JpnⅡ)を浜口騎手の好騎乗で3番手から差し切り勝ち。2度目のJBCスプリント挑戦は踏ん張れず9着と完敗したが、笠松グランプリでエーシンクールデイ(牝6歳、伊藤強一厩舎)と名勝負を繰り広げた。
エーシンクールディは牝馬重賞シリーズ「グランダム・ジャパン」古馬シーズンを連覇するなど笠松のもう一頭の女王。ラブミーチャンとともに、スタートダッシュを武器にした快速馬で、牝馬2頭の「頂上決戦」はファン待望の一戦となった。
息詰まるデッドヒート。単勝1番人気のラブミーチャン(浜口騎手)は2着に敗れ、エーシンクールディ(岡部誠騎手)が鮮やかな差し切りで連覇を果たした。
ラブミーチャンは、スタートで滑り気味に出遅れたのが響いて中団から追走。4コーナーでは先頭に立ち、ラスト200メートルから迫るエーシンクールディとの激しいたたき合いになったが、ゴール寸前で鋭く伸びたエーシンクールディにかわされた。
柳江仁調教師は「スタートで後手を踏み、バタバタした。立て直してまた笠松で走らせたい」と巻き返しを誓った。エーシンクールディは引退が決まり、岡部騎手は「寂しいですが、繁殖牝馬として育てた子が、また笠松で走ってくれるでしょう」と期待を込めた。産駒のスマイルカナはJRA重賞フェアリーS、ターコイズS(GⅢ)を2勝する活躍を見せた。
■地方馬日本一、3年ぶり年度代表馬に輝き「孝行娘」
ラブミーチャンは「NARグランプリ2012」の年度代表馬に選出された。2歳時の09年以来、3年ぶり2度目の「地方馬日本一」の栄冠で、4歳以上最優秀牝馬、最優秀短距離馬も併せて受賞し、3冠に輝いた。
浜口楠彦騎手の騎乗で「笠松の快速娘」の看板を背負ってきたラブミーチャンは、充実の5歳時を「孝行娘」として成長を遂げた。厳しい経営が続く笠松競馬場の関係者は「新年の明るいニュース。売り上げ増につながれば」と期待を寄せた。
「東京盃」で中央勢を寄せ付けずに圧勝したほか、「名古屋でら馬」「習志野きらっと」のスーパースプリントシリーズを2年連続で制したことが評価され、年度代表馬に返り咲いた。柳江調教師は「いつもゲートを出る時はハラハラドキドキ。東京盃では勝ちっぷりが良くて喜びが爆発した」と振り返った。
3歳時には中央の桜花賞トライアルで体調不良もあって完敗。栄光と挫折を味わい、常に腰や背中の疲労、裂蹄と闘いながら、全国のファンに全力の走りを披露してきた。
■「彼女は神様からもらった贈り物」
2度目の年度代表馬表彰式で、馬主のDr.コパこと小林祥晃さんは「彼女は神様からもらった贈り物。あんな頑張り屋な娘はいない。まだまだ全国の地方競馬場で走ってもらいたい。彼女の走る姿で多くの人に喜んでもらい、地方競馬が栄えてもらえれば」と語った。
小林さん、柳江仁調教師、濱口楠彦騎手、森崎隆厩務員、生産牧場のグランド牧場が表彰され、トロフィーや花束が贈られた。
年明け6歳となり、柳江調教師は「競走生活も今年いっぱいで、無事に1年走ってくれたら最高。笠松であと2回走らせ、競馬場を盛り上げたい」と再び地元ファンに雄姿を見せるという。
■ダートグレード5勝、年度代表馬2回で「最強牝馬」
笠松の名牝ラブミーチャンの記録を改めて調べてみると、NARグランプリが始まった1990年以降、日本の地方馬では歴代最強の牝馬であることを確信した。全日本2歳優駿(JpnⅠ)などダートグレード競走で5勝を飾り、NARグランプリ年度代表馬に2回も輝いた。
ダートグレード5勝の牝馬は、サルサディオーネ(大井)もいるがJpnⅠ勝ちがなく、年度代表馬に選出されていない。牝馬の年度代表馬は他にホワイトシルバー(大井)、ライデンリーダー(笠松)、グラミロード(栃木)、ネームヴァリュー(船橋)の4頭いるが、受賞2回はラブミーチャンだけだ。JRAでデビューできなかった馬が、小さな笠松競馬場の厩舎で急成長し、シンデレラガールとなった。改めてその蹄跡の素晴らしさに敬服するばかりだ。
牡馬最強馬はフリオーソ(船橋)でダートグレードを9勝、年度代表馬に4回(2007~08、10~11年)。コスモバルク(北海道)は地方所属馬だが、皐月賞とジャパンC2着などJRAが主戦場で別格。ラブミーチャンはフリオーソ5歳時の09年に年度代表馬を受賞しており、その価値は極めて高いといえよう。
■福永祐一騎手の手綱でオッズパークGP優勝
2013年、6歳になったラブミーチャン。2月、笠松で1着賞金1000万円の重賞「オッズパークグランプリ」が開催された。笠松グランプリで浜口騎手が不覚を取ったこともあり、陣営はJRAのジョッキーを起用するサプライズ。武豊騎手の名前も挙がっていたがドバイ遠征のため断念し、福永祐一騎手に騎乗を依頼した。
1番人気の期待に応えて、ラブミーチャン(牝6歳)は福永騎手の手綱で最後まで先頭を譲らず、逃げ切りV。地元笠松では3年ぶりの勝利に、観客約2000人が沸いた。ナイキマドリード(船橋)や、エスワンプリンス(佐賀)など全国の強豪馬を振り切り、連覇を果たした。
福永騎手は「初めて乗ったが、素晴らしい馬。いいリズムで走れたと思う」。柳江調教師は「伸び伸びと走ることができ、理想のレースだった。本来のラブミーチャンの強さが出た」とたたえた。
レース後、負けられなかった福永騎手とDr.コパさんのトークショーもあり、コパさんは「ラブミーチャンがこんなに多くの方に愛されてうれしい。今後も笠松競馬場に来て応援してほしい」と呼び掛けた。
■東京スプリントから4連勝、クラスターCは戸崎騎手
福永騎手は高知「黒船賞」でも騎乗したが、ラブミーチャンは粘りを欠いて6着。この後、得意の1200メートル以下のレースで、快進撃を続けた。東京スプリント(大井)ではJRAに移籍したばかりの戸崎圭太騎手(元大井)が4、5番手から追走。最後の直線であっさりと抜け出し、中央勢を寄せ付けずに圧勝した。
4歳秋には、逃げ一辺倒から控えて番手競馬もこなせるようになり、自在性を発揮。コパさんも「スピード馬はこれができたら強い」と絶賛。盛岡・クラスターCも戸崎騎手で3番手から中央勢を圧倒して制覇。2着タイセイレジェンド(内田博幸騎手)など6着まで中央馬が続き、地方馬として痛快なレースとなった。
戸崎騎手は「しっかり伸びるように乗った。スピードがあって競馬が上手な馬」と勝利を喜んだ。柳江調教師は「充実期を迎え、ゴールまで大事にうまく乗ってくれた。当日輸送だったが、地方馬として東北のファンに良いところを見せられた」と満足そうだった。
■苦境に耐えた、ネット投票好調で右肩上がり
笠松競馬の経営状況はどん底だったが、2012年10月にスタートした、地方競馬の馬券も買えるJRAネット投票が徐々に浸透。スマホでもライブ映像や出馬表などが充実し、手軽に競馬を楽しめるようになり、ネット投票ファンが急増。13年度以降、笠松など各地方競馬の馬券販売は右肩上がりに飛躍的な伸びを見せた。ラブミーチャンの活躍にも支えられて、苦境に耐えてきた笠松競馬関係者にもようやく光が差し込んだ。
■ノーザンファームしがらきで坂路調教
ラブミーチャンは一時スランプもあったが、ノーザンファームしがらき(滋賀県)の坂路調教で鍛えられたことも大きかった。地方所属馬としては異例だったが、柳江調教師も「滋賀で頑張っていますよ」と語り、ラブミーチャンは復活。6歳時にはダートグレードを2勝するなど引退まで4連勝を飾った。3度目の挑戦となるJBCスプリント(金沢)を目指し、地元笠松で引退のラストランを迎える予定だったが…。(「ハマちゃんと名コンビ、笠松で記念レース」に続く)
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