
応援した競走馬が上位に入って、運良く的中した馬券の払い戻しをその場で受け取る快感は、競馬場や場外発売所への来場者にしか味わえない。万馬券ゲットは競馬ファンの夢でもある。
最近では馬単や3連単など馬券の種類が増えて、万馬券を手にしたことがある人も多くなったが、かつては的中させることが極めて難しい「お宝ドリーム馬券」だった。昭和から平成初期、笠松競馬は土日も含めて6日間開催が多く、馬券の発売は単勝、複勝、枠連複しかなかった(1996年の枠連単導入まで)。1開催約60レースのうち、万馬券は2、3回しか飛び出さなかったのだ。
■「穴の川原」から500円ずつ流し買い、体がフワッと
「いつかは万馬券を当てたい」と笠松競馬場に通っていたが、笠松デビューから3年ほどして幸運な日を迎えることができた。メインレースだった。平日で5000人、日曜には1万人前後が来場。客席は既に満席で座れなく、いつものように第4コーナー近くのスタンドで立ち見。大混戦となったゴール前は遠くて見えなかったが、実況で的中したことを確信した。

着順掲示板の確定ランプが点灯し、払戻金のアナウンス。人生初めての万馬券を握りしめて、胸の高鳴りを感じながら払戻所に向かう途中、体がフワッと浮き上がるように足取りが軽くなったことを今でもよく覚えている。逃げが得意で「無印」でも連対圏によく来た川原正一騎手のファンで、好きな数字は「3」だった。当時はまだ20代で「穴の川原」とも呼ばれたジョッキー絡みで、500円ずつ流し買いした枠連③-④の配当が1万円を少し超えたのだった。
万馬券だけに的中者は少なめで、払戻所に並ぶ優越感。当時は正面入り口の外側にも馬券の払戻所があった。投票用紙は手書きの時代で、払戻金もパートのおばちゃんからの手渡しだった。「万馬券を取るとは、こういうことなのか」と、ようやく実感できたのだった。一緒にいた先輩がうらやましそうに喜んでくれた。馬券をなくさないうちに換金し、職場に向かった。デスクには「どうせなら1000円買っていれば」とも言われたが、万馬券ゲットの感触を味わえただけで十分だった。
当時の専門紙「競馬エース」には、馬券の格言の一つとして「枠連で万馬券を狙うなら『○(対抗馬)から無印の馬へ』」とあったが、ほぼそれに近い狙い(▲と無印)でゲットできた。
枠連の時代にも笠松で5万円超えの万馬券が出たことがあった。メインレースで無印同士のワンツーだったが、その配当を知って驚きのあまり「なぜこうなったのか」と専門紙を30分ほど眺めていたものだ。確か「1-7」で1枠がらみの高配当が多かった。
■人気薄から「枠単」1点買いで万馬券ゲット
もう一つ「1点で万馬券ゲット」の痛快な一撃を放ったことがあった。こちらは当時の「競馬エース」の紙面が残っていたので詳しく紹介しよう。
1996年10月、笠松競馬でも1着、2着の馬を着順通りに当てる「枠番連勝単式(枠単)」が導入された。当初はファンも買い方に戸惑ったようで、超穴馬が1着になると、枠連は4300円なのに枠単は4万円を超えるなど「ビックリ馬券」も続出した。10倍近い配当に「何じゃこれ」と枠単の破壊力と魅力に心を奪われたものだ。

3連単が導入されてからは「100万円超え」の配当を場内アナウンスや競馬中継で平然と(桁数を間違えないようにゆっくりと)読み上げる時代になったが、どこか金銭感覚がズレているのではという気がする。それでも賞金額も馬券の販売額も世界に誇る「競馬大国ニッポン」。ファンは3連単をコツコツと100円ずつの多点買いで高配当の夢を追い掛けている。
少ない投資額で高配当を狙える「枠単」は笠松では2012年6月に廃止になったが「幻の馬券」とも呼ばれている。JRAでは馬単、3連単は導入されたが、枠単は発売されたことがなく、現在は金沢、南関東で購入できる。枠単の買い目は10頭立ての笠松の場合、最大58通り。「7-7」「8-8」のゾロ目もあったのが特徴。大井の16頭立てでも最大64通りしかないが、大本命が2着以下に敗れ、人気薄が勝つ「裏馬券」では配当も大化けすることが多い。
■村井騎手→高木騎手で決まった
あれは1997年6月19日だった。ということは夏のボーナスが出た直後。かつて写真判定で泣いたシーンのリベンジも兼ねて、笠松競馬場で勝負していた。8Rまでは負けていて、迎えた準メインの9R。やはり高配当を呼ぶ枠単に注目。笠松でも導入された新馬券で大穴をゲットできたのだ。当時の岐阜新聞で調べたがデータ不足で確証を得られなかったが、わが家に当時の競馬エースが眠っていたのを発見。笠松では最大のヒットとなった。エースを見直してみて驚いたのは的中があのトラックマンさん(現在、笠松チーフTM)のおかげでもあったことだ。

準メインのアラ系B2「ミズバショウ特別」。エース「無印→◎ 2→7」の1点勝負。村井栄治騎手が騎乗したフロニイズホープは8頭立ての8番人気で、もう1頭は高木健騎手騎乗の1番人気カチドキジョモ。
フロニイズホープは兵庫から笠松転入2戦目。出遅れた初戦は8着。追い込み一手で厳しい戦いも予想されたが、後方から鮮やかな差し切りを決めて1着でゴールイン。1馬身差の2着にも◎カチドキジョモが入った。
■的中250票のうち50票持っていた
ユーホールで観戦していたが「これは勝っちゃうぞ」と最後の直線はシビレまくり、超ドキドキした。枠単を裏からだけ、5000円買っていた。場内モニターで枠単の的中票数を確認すると250票ほどだが、そのうち50票持っていたのだ。果たして配当はいくらになるのか。確定するまで興奮しながら、売店のマスターに思わず「枠単が当たったよ」と伝えると「万馬券ですごい払い戻しになるよ」と驚かれた。
ところが、喜びのあまり手が震えていたのか、的中馬券がポケットからなかなか出て来ない。「まさか落としたのでは」。何度も手をポケットや財布に突っ込んで、ようやく見つけて一安心。枠連配当は5210円だったが、枠単は14170円と3倍近くになった。「枠連でなく、人気薄からの枠単1点で当てることができた」幸運をかみしめて歓喜に浸った。

■トラックマンの▲印ポツンから
早速、払い戻しを受けたが、こんな時の「お札を数える音」は長ければ長いほどいい。ギャンブラーにとって至福の時間ともいえ、後ろに並んでいる的中者には悪いが、やはり優越感を味わえて最高の気分である。笠松での払戻金では自己最高額となったが、その後も更新できていない。
改めて競馬エースの紙面をよく見ると、一人だけポツンと印が付けられた馬から買っていた。その時にはノーマークだったが、28年の時を経て意外なことに気付いた。勝ったフロニイズホープは出馬表では完全無印だったが、「騎手成績&人気」欄で、まだ若手だった竹中トラックマンがただ一人▲印を付けてくれていたのだ。改めて感謝したい。
「推理のヒント」の欄には「能試、実戦とスタートで気の悪さ(出遅れ)を見せたが『変身注意』」とあり、短評にもある「気分を一新」した走りを期待した。当時は情報量が多くて「厩舎のはなし」のほか、トラックマンらの視点も掲載されていて最後の鋭い一言が、馬券購入の決め手にもなった。

もう一つ印象深いレースは年末の最終レース。負け込んでいたが、ラストチャンスに賭けた。馬連を2000円、馬単は1000円購入し的中。ここでも穴馬から◎1番人気狙いで勝負。馬連が40倍ほどなのに対し、馬単は300倍超えの高配当となった。場内モニターで払戻金が発表され、隣にいたファンには「単で持っているのか」とびっくりされた。年の瀬に強烈な一撃を放つことができた。馬連と「人気薄を頭にした馬単」を「2対1」の割合で買うのがお勧めである。
■電話投票つながらず、頼まれた3万馬券を取り逃がした
万馬券では苦い思い出もある。職場でデスククラスの先輩に電話投票を頼まれた。枠連の馬券「2-4」1点500円分が的中し、3万円超えの高配当をゲットできるはずだった。
1980年代、笠松競馬は全国の地方競馬に先駆けて電話投票を導入していた。おばちゃんに口頭で買い目、金額を伝える形式だったが、電話受け付けは2回線しかなく、何度かけ直してもずっと話し中でつながらなかった。そのうち会議の時間になり、長引いて結局馬券を買えずじまい。無印同士2頭の枠連で普通なら外れるはずが、実況録音を聞くと、まさかの大当たりになってしまったのだ。
先輩は仕事が休みだったので、慌てて自宅へおわびの電話を入れた。「以前にも頼んだ枠連『1ー2』(1000円分)が2万円の配当を付けたのに、競馬場へ買いに行っておらず、万馬券では2度目だ」という。こういうケースは芸能人などの「情けない話」としてよく耳にするが、馬券の購入というものは、人に頼んでも当てにならないということだろう。翌日、電話投票の受け付け窓口には「もっとつながりやすいように回線を増やして」と怒り半分、懇願した。
その後、先輩のため終盤のレースで「2―4」の目を再び当たるまで1000円分ずつ買い続けた。その結果、3000円台の馬券を的中できた。その払戻金で野球のミットを購入し、わが草野球チームに提供してくださった。
また電話投票では別の先輩にも頼まれて何度も購入していたが、全く当たらなかった。1レース1000円ずつだったが、うっかり買い忘れたことがあった。「外れていてくれ」と願ったが、こういう時には意地悪なゴールインとなるもので3000円台の当たりになった。先輩にとっては待望の的中。「買っていなかった」とは言えず、「おめでとうございます」と自腹で的中額を渡したのだった。勤務中でもあり、電話投票はこそこそと買っていたし、ほろ苦い思い出が多かった。

■8月11日からのレースで東門からの入場も再開
笠松競馬場改修入り直前、6月の開催日。3連単は12レース中11レースが万馬券となり、140万馬券も飛び出した。穴目が1頭引っ掛かれば10万、100万馬券もゲットできる時代になり、当たり前のように高額配当が増えているが、3連単では100円ずつの多点買いが主流で、せこくなった感じもしている。
東海公営の競馬専門紙といえば最近では「競馬エース」と「競馬東海」の2紙のみになったが、もう40年以上も入手し愛読している。以前は大駐車場から競馬場へ向かう途中にも専門紙の売店があって、よく利用した。東門前でも販売していたが店じまい。笠松ファンに親しまれたおばちゃんの姿は見られなくなった。
東門はコロナ渦の影響で一般客の入場は休止されていたが、厩舎移転に伴い第2駐車場もコンビニ東に移転。8月11日からのレース再開では、東門でのファン入場も再開される(笠松開催日のみ)。専門紙はコンビニなどでネット販売に移行。手売りは笠松競馬場正門前と丸金食堂のみとなったが、ファンの利用が増える東門前でも再開してほしいものだ。
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(筆者・ハヤヒデ)電子メール ogurinosato38hayahide@gmail.com までお願いします。
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