
最後の直線でゴールを目指す各馬の攻防。ライブ観戦ではスマホや紙馬券を握りしめて応援するファンも多い
東海地方も梅雨明け。昨年より2週間早く、今後も長く猛暑が続きそうだ。夏のボーナスが支給されてエアコン商戦も過熱気味だが、わが家の自室エアコンは故障したまま動かず。「ウマ娘シンデレラグレイ」のうちわを手にバタバタさせながら、汗ダラダラ。半端ない暑さと格闘しながら40年以上前の「あのとき」を思い起こしている。昭和の時代に「独身貴族」だった頃、夏のボーナスの行方は写真判定の結果に託されたのだった。
■出勤前に笠松競馬場通い。
職場の先輩はスポーツ面の師匠で、熱狂的なドラゴンズファンでもあった。試合前やチャンスになると勝利のお祈りをするほどだったが、笠松競馬場経由でよく出勤していた。

笠松競馬場と周辺の様子。木曽川河畔にあり、ゴールまでの直線は201メートル
自分も午後4時から深夜までの夜勤で、ドラゴンズをメインにプロ野球の試合結果などを紙面化する毎日だった。笠松デビュー戦は競馬欄について学ぶためでもあったが、ビギナーズラックの味が忘れられず。午前中から現場に通うようになっていた。笠松競馬の第1レース発走は通常11時半でメインレースは3時半。いつもメインまで観戦し、最終の前売りを買ってから車を飛ばして職場へと駆け込んだ。
競馬雑誌で南関東の場立ちの予想屋さんが「1点買いでも、何点か買っても、当たる確率はそんなに変わらないねえ。1点買いだと迷いがないからかなあ」とつぶやいていた記事を読んだことがある。「枠連」だと10頭立ての笠松の場合、買い目は最大30通りしかなかった。3連単が主流の現代とは随分違っていた。枠連の平均配当は800円前後と安かった。それだけに買い目を絞る必要があったのだ。当たれば外れ馬券が全くなく「的中率100%」の払い戻しを受けられることも魅力に感じた。

ルーキー時代に人気薄の騎乗馬で高配当を運んでくれた高木健騎手
■無印の高木健騎手から高配当ゲット
82年4月のことだ。今も還暦ジョッキーとして健在ぶりを発揮している高木健騎手(愛知県出身)が向山牧騎手より早く、17歳でデビューしていた。フワミノリで初騎乗初勝利の快挙を達成。専門紙では「高木」の上に▲の印が付いていて新人ジョッキーであることを知った。その半年前には「オグリキャップ初勝利」に騎乗した高橋一成騎手が、1年後には「オグリの新馬戦」に騎乗した青木達彦騎手がデビューした昭和の懐かしい時代。あれから43年が経過。「健さーん」の掛け声と共に高木騎手がいかに長くジョッキー人生を歩んでいるかを物語っている。
高木騎手の名前はルーキー時代からよく覚えている。「競馬東海」で無印のシャモニーダイヤという馬で3000円近い高配当を運んでくれたからだ。令和に入って、不祥事の余波で一時「引退扱い」になったが、昨年8月に晴れて復帰を果たした。馬を動かす腕力は健在。最後の直線、年齢を感じさせない力強い手綱さばきでファンを魅了している。
■「◎…」の枠連1点買いで勝負
笠松に通いだして2年目の頃、夏のボーナスが出た。まだ独身で全額自由に使えた。人気薄の高木騎手らから高配当の馬券も的中できたことから、すぐに「次の笠松開催は、思い切って穴目の『枠連1点買い』で勝負してみようと」と血が騒いだ。「よく当たる」と先輩から聞いて好きになったトラックマンの「印ポツン」が狙い目だった。

かつて使われていた馬券の発売窓口(中央スタンド)。マークカード導入前には投票用紙とお金を女性スタッフに渡して購入していた
初夏の陽気に誘われて、笠松競馬場にゲートイン。2日間で計20レース。中穴狙いで「専門紙の◎から無印の穴馬への1点」で1万円ずつ買ってみたが、初日はかすりもしなかった。こうなると負けた分を取り返そうと「オール◎&オール〇」とその日一番の本命レースに大口で賭けたくなった。
2日目の中盤戦、ここは「次のレース、10万円勝負だな」と入れ込んだが、手持ちが足りなくなっていた。コンビニなどない時代で銀行は遠く、名鉄笠松駅近くの郵便局に駆け込んだ。ATMでボーナスの残りを引き出し、再び笠松競馬場へ。レース中に熱くなってしまい、ATMへと走る最悪の「負けパターン」に足を踏み入れてしまったのだ。
■買い目と購入額を書き込み、窓口で手渡すスタイル
マークカード導入前には、投票用紙に買い目と購入額を書き込んで、窓口のおばちゃんに手渡すスタイルで馬券を買っていた。今から思うと「蹄鉄」のような形をした穴に手を突っ込んで、口頭形式で馬券を受け取った。
単複以外は枠連しかなく、1000円券は「特券」とも呼ばれていた。発券は、おばちゃんが買い目と賭け金を復唱し「お確かめください」と手渡されるパターンだった。
当時はガチガチの本命レースに100万円単位の大口で勝負するお客さんもかなりいた印象がある。配当はほぼ200円台前半。どこかの社長さんらが札束を手にもちろん1点勝負。運良く的中できれば、90万円以上の「高額払い戻し窓口」の前に立つことができる。
枠連に大口で賭けて勝負したお客さん。たまには大金をゲットしたことだろう。グループで来て「高級車に乗って、負ければ無言で帰るが、勝てば夜の柳ケ瀬に繰り出して、貸し切り状態でどんちゃん騒ぎだよ」と職場のデスクから聞いたことがある。明け方近く、忠節橋北の道路沿いにあった廃バスのラーメン屋で飲み食いしていた時の話である。お店は隠れ家的な風情で人気があった。

90万円を超える高額払い戻し窓口。枠連で大口の勝負をしたお客さんが大金をゲットした
■本命レース「◎○」がズラリと並んでいたが
こっちはまだ笠松競馬経験も浅く、大口とはいかないが、夏のボーナスを賭けた戦いに挑んでいた。
1枚の投票用紙に「1点10万円」と書くのはちょっと勇気がいった。窓口のおばちゃんに変な目で見られる気恥ずかしさもあって、半分ずつに分けて買うことにした。連複のオッズはやはり2倍台前半だった。「これが当たれば取り戻せる」との期待は膨らんだが、果たして結果は…。
東海もエースも専門紙の印は「◎○」がズラリと並んでおり、この日一番の本命レースとみられた。
祈る思いで見守った。有力馬2頭のうち◎1番人気の馬は確か1着に来たが、もう1頭〇の走りは精彩を欠いた。第4コーナーを回って馬群に沈んで2着馬から離される一方。ゴール近くで見ていたが「これはまずい」とガックリ。購入した馬券は一瞬で紙くずとなってしまった。◎〇の2頭とも前走1着だったが昇級戦でもあり、嫌な予感もあった。

1982年当時の笠松競馬場。1頭が抜け出してゴールイン。「馬券おやじ」たちの熱気がすさまじかった
■ラストチャンス、2頭で決まりかけた
その後も的中はなく、迎えた最終10レース。ここまで既に2日間で30万円近く投入していたが、ワンツーフィニッシュの的中はなかった。夏のボーナスの残りは6万円ほどにまで減っていた。負け分をチャラにするにはオッズ6倍台の連複馬券にオールインするしかなかった。最終はやはり混戦レース。予想紙の◎○でもオッズ6倍以上の配当で、残金全額を投入した。
もう後がない注目のレース。買っていた◎○の2頭が抜け出して4コーナーを回った。中央スタンド辺りで観戦していたが「これはもらった。そのまま―」と、最後の夢を託した馬券を握りしめてワンツーを願った。
ラストチャンス、2頭で決まりかけたが、わずか201メートルの直線がやけに長く感じられた。応援していた1頭の脚色が鈍り、いっぱいになった。そして大外からもう1頭がものすごい勢いで一気に追い込んできたのだ。

明暗を分ける写真判定ではファンの歓声と悲鳴が交錯する(2017年のくろゆり賞、場内モニター)
■ハラハラドキドキの写真判定
ゴールまで残り数メートルまでは予想した2頭が優勢だった。肉眼と場内モニターで両にらみ。モニターでは買っていた内の馬が2着に残っているように見えたが、差されているかも…。全てを託した馬券を手にハラハラドキドキの写真判定となった。とても長く感じられ、やはり祈る思いで着順掲示板を見つめていたが、結果は外の馬の差し脚が鋭くハナ差で2着となった。またしても購入馬券は紙くずと化した。
夏のボーナスは2日間で消えてしまった。スロー再生ではやはり負けていて、放心状態でしばらく動けなかった。写真判定の場合、やはり外から突っ込んでくる馬が勢いで勝り、先着しているケースが多いように感じる。日曜日には1万人以上のお客さんがあった笠松競馬場。場内では外れ馬券が宙を舞い、大量のごみとなって通路に散乱していた。
■ギャンブルは熱くならずに少額で
職場には競輪好きの先輩もいた。学生時代には、岐阜競輪場で落車事故の選手を担架で運ぶバイトもしていたとか。その先輩に、最近の競馬の調子を聞かれ「2日でボーナスがなくなりました」と伝えると「どえらい買っとるなあ」と驚かれた。その言葉は今でも耳に残っている。自己責任とはいえ、ギャンブルは熱くならずに少額で楽しむことが大切である。
☆ファンの声を募集
競馬コラム「オグリの里」に対する感想や意見などをお寄せください。笠松競馬からスターホースが出現することを願って、ファン目線で盛り上げていきます。
(筆者・ハヤヒデ)電子メール ogurinosato38hayahide@gmail.com までお願いします。
☆「オグリの里3熱狂編」も好評発売中
