高校野球の名門、県岐阜商硬式野球部の創部100周年記念式典・祝賀会が26日、岐阜市内のホテルで開かれ、2009年夏の甲子園でベスト4に導いた藤田明宏元監督(現朝日大監督)が母校への思いを語り、指導スタッフへ熱いエールを送るなどOBら255人が新たな飛躍を誓い合った。

創部100周年に当たり、さらなる飛躍を期して、あいさつする石榑淳OBクラブ委員長=いずれも岐阜グランドホテル

 同部は1925(大正14)年9月6日に創部され、甲子園に春夏ともに30度、計60度の出場を誇り、優勝は春3回、夏1回。勝利数は87勝(春48勝、夏39勝)で全国4位、公立校では1位。記録だけでなく、戦前に近代打法を繰り広げたり、けん制球や継投、センター返しの単打主義を先駆けたりするなど野球レベルにおいても県はもちろん、全国をけん引してきた。

 会場には歴代の岐阜大会優勝盾の写真が並び、甲子園優勝旗のレプリカが彩る中、式典が行われ、石榑淳新OBクラブ委員長が「実績は100年に及ぶOBの皆さまの努力のたまもの。だが、勝利至上主義の野球部ではなく、校訓である不撓不屈の精神野球を通して社会に活躍する人材を輩出してきた。もう一度、一致団結して一枚岩になって、野球部を応援していただきたい」と呼びかけた。

ステージ横を彩った歴代優勝旗のレプリカと岐阜大会優勝盾の写真

 古田肇県知事や大友克之朝日大学長らの祝辞に続き、同校吹奏楽部と応援団が日本一になった時のみに歌う「緋の旗」や、おなじみの「大進撃」「突撃のテーマ」を華やかに奏で、出席者とともに声を張り上げ、盛り上げた。

団旗を掲げる中で繰り広げられた吹奏楽部と応援団のアトラクション

 甲子園で春夏連続準優勝した56年のエース清沢忠彦さんの音頭で乾杯し、スピーチや100年の歴史を当時の映像や、OB、歴代監督のインタビューでつづった記念DVDの上映も行われた。

清沢忠彦さんの音頭で乾杯する出席者

 スピーチした一人の藤田明宏監督は自身の小学生からの県岐阜商愛を語り、「2005年に3学年先輩の工藤昌義監督や同学年の鍵谷英一郎監督、鹿野浩史監督とともに岐阜大会のベスト4を独占するなど母校出身の指導者が切磋琢磨(せっさたくま)する中で2009年のベスト4になれた」と回想。2009年にコーチとしてともに指導した現監督の藤井潤作監督への応援、支援を出席のOBたちに訴え、四つのエールを送った。

思い出を振り返り、新体制へのエールを送った藤田明宏元監督

 「一つ目は、県岐阜商野球部が指導をつないできた勝つことだけでなく、野球を通した人間形成、思いやりを教えてほしい」

 「二つ目は岐商のブランドはでかい。岐商のユニホームに袖を通したら、強くあってほしいし、凛とした姿勢で試合ができるチームにしてほしい」

 「三つ目は私も甲子園で監督として13試合したが相手はすべて私立高校だった。情報化社会であそこが強い、ここが強いと騒がれるが、くだらない固定観念を捨てて、生徒にご指導いただけたらと思います」

 「最後にこれが一番大事ですが、やるからには野球を楽しんでほしい。苦しいことは山ほどあるが、喜びは2倍、3倍になって帰ってくるという思いで指導に当たってほしい」。

 また県岐阜商の一番の思い出として「2009年のベスト4もあるが、同年に新潟国体で62年ぶりに優勝し、全校集会で日本一になった時しか歌えない『緋の旗』を歌えたことが感無量だった」と言い、「ぜひ甲子園の舞台で、お集まりのOBの皆さんとともに『緋の旗』が歌えるよう、高い志を持って次の100周年に向かって頑張ってほしい」と結んだ。

強い県岐阜商にすることを誓った藤井潤作監督と指導スタッフら

 最後に藤井潤作監督ら現指導スタッフが「皆さまが期待している強い岐阜商業をつくっていきたい」と101年目からのスタートへの決意を力強く述べた。(森嶋哲也)