太平洋戦争末期の沖縄戦から80年となるのに合わせ、沖縄県公文書館は戦後にかけての写真や資料計175点を展示した企画展を開いている。米軍側の資料も多く使い、日々の戦闘を記録した作戦報告書には、沖縄戦で旧日本軍を率いた牛島満司令官自決の様子がつづられている。担当者は「記録を通じて沖縄戦に関心を持ってほしい」と呼びかけている。
「牛島中将が短刀を刺すのとほぼ同時に刀が振り下ろされ、中将は前方に倒れた」。米軍の報告書に添付された尋問調書には、捕虜となった日本兵の証言がある。戦況悪化による部隊の士気低下などを指摘する別の捕虜への調書もあった。
沖縄戦は1945年6月23日、牛島司令官の自決で組織的戦闘が終結し、日米双方で20万人超が死亡したとされる。日本軍の資料は多くが焼失した一方、米軍は日本側の抗戦状況などを細かく記録し、膨大な資料にまとめている。
沖縄戦の経過も米軍報告書で説明。沖縄本島を格子状に区割りし、各区域に位置番号を付けて米軍の部隊に配った地図と、番号を引用して作成した報告書を並べ、比較できるようにした。