2022年7月29日、息子の明浩が突然「大阪に引っ越す」と言い、びっくり仰天しました。それまでは、関西将棋会館が大阪府高槻市に移転する24年に引っ越すと聞いていたからです。
息子はアマチュア時代、棋士がいない県で棋士を目指す大変さを身にしみて感じていました。奨励会入会後は、「棋士になったら、地元で子どもたちのために普及活動を頑張りたい」と話していました。
プロ入り後は、その言葉通り、地元のイベントにちょくちょく出かけていました。子どもたちに指導対局をするのも楽しそうで、メディアでも、「岐阜県を盛り上げていきたい。田舎棋士として活躍したい」と答えていました。
当時、名古屋には対局場がなく、対局のたび、大阪か東京へ行く必要がありました。奨励会時代と異なる長時間の対局は、体力的にも負担が大きかったようです。
しばらくすると、息子は、「毎回、遠くに移動して対局するのは疲れるから、関西将棋会館が移転するときに引っ越すわ」と話すようになりました。
そのような状況でしたので、プロ2年目に入ったばかりの息子から、突然「引っ越す」と聞いたときは驚きました。それまでは、近くのジムにも通い、名古屋での研究会も多く、岐阜で楽しく過ごしており、引っ越しするような気配は全くなかったからです。
後日、息子は、地元のラジオ番組で、「岐阜の居心地はかなり良かったが、家ではなかなか勉強できなかったので、環境を変えようと思った。1年目の成績も、最後に勝ってギリギリ6割になった程度だったので。自分が突然高槻に引っ越すと言ったので、父親は急すぎてあっけに取られていた」と話していました。
まさにその通りで、私は急な展開にただただ驚くばかりでした。また、私は、プロ1年目に6割の勝率を挙げたのは立派なことだと思っていましたが、息子はより高いレベルを目指していたのだと知りました。
師匠の森信雄先生からは、プロ入り1年目に「田舎にいてはハングリーさが失われるので、都会に出てきた方が良い」と言われていました。同時期のインタビューで、息子も「田舎の環境は穏やかで、気持ちが緩んでしまう」と答えていました。
そのときは気付いていませんでしたが、息子が引っ越しを決めたのは、6勝7敗と、プロ入り後初めて、年度内で負け数が勝ち数を上回った時期に当たります。今振り返ると息子は、環境を変えることでスランプを乗り切ろうと考えたのだと思います。
(「文聞分」主宰・高田浩史)
=随時掲載、題字は高田明浩五段=
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