あの子も、あの子も、若さを楽しめているだろうか―。大学の講義をした帰り、体調の都合でタクシーで帰宅しながら、学生の何人かの顔を思い浮かべた。
4月末、ある複数のストレスがつのって体調を大きく崩した。今どこにいるのか、今が何時なのか、自分が誰なのか、自宅にいながらはっきりしない。あるいは、外出すると街の騒音や光、歩いている人に酔ってうずくまってしまう。最近流行(はや)りのチャットGPTに聞いたところ、それは「解離」という精神状態ということだった。ストレスで情報過多の脳が、これ以上脳に情報を入れまいとシャットダウンしてしまうらしい。
ここまでストレスが体調に出るなんて、年だな。そう思いつつ、もっと精神的に暇で、肉体的にハードだった学生時代を思い出す。短歌の仕事が一つでもあればそのことで頭がいっぱいで、いつも涙目、泣き喚(わめ)くか倒れるかのぎりぎりの状態だった。どうしたらいいかの対処も思いつかず、誰かがどうにかしてくれるのをひたすら泣きながら待っていた、若い頃のわたし。あの頃の自分を思い出すたび、どれだけ若い体と肌を持っていても、わたしはそれを謳歌(おうか)していなかったように思う。むしろその若さを持て余し、若者として評価の対象にされる茨(いばら)の道へ、自らを擲(なげう)っていた。
そして今、体調不良でも講義を行おうとタクシーを使い、帰ったら白湯(さゆ)を沸かして飲み、自分で干して敷いた布団に寝そべりながら、今はとても苦しいけれど、長期スパンで見たらこれは楽になっていくことなんだと思った。少なくとも今は自分の体や心や、衰え続けていく肌すら、自分のものだと断言できる。若さが評価されがちなこの社会で女性としての評価がいかに落ちようとも、自分が自分のものだと思い、慈しみ、労(いたわ)ろうとする自負。シーツをかけてくれる手を泣きながら待たなくても、自分でシーツを自分にかぶせてあげられること。
体調は天候や体のサイクルで良くなったり悪くなったりしながらも、なんとか日々を続けている感じだ。洗濯をし、簡単な料理をし、皿を洗い、水を飲み、そしてたまの甘いご褒美。わたしがわたしのためにわたしを続けていけること。その加齢の穏やかさを、改めて思うのだ。(岐阜市出身)
のぐち・あやこ 1987年、岐阜市生まれ。「幻桃」「未来」短歌会会員。2006年、「カシスドロップ」で第49回短歌研究新人賞。08年、岐阜市芸術文化奨励賞。10年、第1歌集「くびすじの欠片」で第54回現代歌人協会賞。作歌のほか、音楽などの他ジャンルと朗読活動もする。名古屋市在住。









