1990年12月、ラストラン有馬記念でゴールを目指すオグリキャップと武豊騎手

 NHKの人気番組「新プロジェクトX~挑戦者たち~」で、有馬記念を2度制覇した「芦毛の怪物」が特集された「駆けろ!オグリキャップ~奇跡はおこせる~」が放送される(初回7月18日20時07分~20時55分)。時代を記録する看板番組によるスーパーホース回顧に「オグリの里」も少しばかり協力できた。今回の「出走」に寄せて、時を超え世代を超えて愛され続けるオグリキャップの魅力について改めて迫ってみた。

 新プロジェクトXは「この国には、誰にも知られず輝く人々がいる」とのキャッチコピーで、情熱と勇気をまっすぐに届ける群像ドキュメンタリー。ラストランで「オグリコール」を浴びた武豊騎手は「結果をあれだけ出したというのは、あのチームだったから」(番組予告)と関係者たちの大きなサポートをたたえている。

 オグリキャップが引退して36年、天国に旅立って16年。もはや伝説になった有馬記念Ⅴでのオグリコール。昭和、平成、令和の時代と世紀をまたいで、最後まで諦めない感動の走りは見る者に「勇気と元気」を呼び起こした。50年、100年後も競馬ファンの人気ナンバーワンホースとして「太陽」のように輝いていることだろう。日本の競馬界の未来を照らし続けてくれていることだろう。

有馬記念Ⅴでオグリコールが沸き起こった中山競馬場

 ■「プロフェッショナル」で「職業 競走馬」、「新プロジェクトX」では関係者の証言や熱い思い

 かつてNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」では「ただ、ひたすら前へ~競走馬・オグリキャップ~」が放送された(2017年2月)。血統的には「二流」でも笠松競馬場でデビュー後、中央で次々とエリート馬たちを倒し、有馬記念などGⅠレースを4勝。血統や生まれ育った環境などの「格差」を乗り越えて活躍した名馬の「仕事の流儀」に迫った。「職業 競走馬」という格好いい響き。スポーツ心臓や「ONとOFF」の切り替えなど幅広い視点で、競走馬の「プロのアスリート」としての魅力が伝えられた。

 今回の「新プロジェクトX」では、オグリキャップ誕生の牧場時代から笠松デビュー後の快進撃、中央に移籍しラストランVまで感動のサクセスストーリーを回顧。騎手、調教師、厩務員、装蹄師や馬主の家族らが登場。オグリキャップの成長、活躍に携わった関係者の証言や熱い思いなどが中心に描かれるという。

 番組予告では「芦毛の怪物オグリキャップ誕生、感動の物語! 地方競馬からはい上がり中央へ進出。二流の血統という壁を打ち破り、エリートの競走馬と死闘を繰り広げて日本一へ。奇跡は起こせる…。人々は一頭の馬に自らの姿を重ね合わせた。その陰には、雑草魂に燃えた厩務員や調教師たちがいた。伝説となった天才ジョッキー・武豊とタッグを組んだ奇跡のラストラン。挫折と復活を経て、日本中の夢と希望を背負ったあの熱狂が今、よみがえる」とあり、笠松発のサクセスストーリーを後押しした関係者の熱い思いが描かれる。 

1987年11月、安藤勝己騎手の騎乗で名古屋・中日スポーツ杯を勝ったオグリキャップ

 ■「オグリの里」で鷲見昌勇元調教師ご健在を知り、番組化に手応え

 今年1月末、岐阜新聞デジタル「オグリの里」を読んだというNHKのディレクターさんから「オグリキャップに関する番組制作で取材、リサーチを進めています。オグリキャップの育成に携われた方の多くが、亡くなられたり、高齢になられて取材が難しかったりと、お話を伺える方が少なくなっているなか、『オグリの里』の記事を拝見。ファンの皆さんや取材を行われてきた方々の思いなども伺いたい」と連絡があった。

 「今回の番組では稲葉牧場時代~美山育成牧場~笠松時代があったからこそ中央で勝つことができた、ということを丁寧に描きたい」と。さらに「鷲見昌勇元調教師、小栗孝一元オーナーの奥さんと娘さんにはお話を伺えており、装蹄師や笠松時代からのファンの方々にもお話を聞きたい」とのことだった。

 中央移籍後の快進撃からラストランまではしっかり映像も残っているが、笠松時代はデビューから5戦目までの映像のほか、重賞勝ちのゴールシーンや口取り写真は残っていない。謎に包まれた部分も多く、関係者の証言だけが頼りである。

2018年4月、笠松競馬場でのトークショーでオグリキャップへの思いを語るアンカツさん

 ■7連勝を飾ったアンカツさん「精神的にすごい馬だった。動じず、どっしり」

 笠松時代のオグリキャップの主戦として7連勝を飾ったアンカツさん(安藤勝己元騎手)は「正直言って、デビュー時は『ちんけな馬』だったが、見る見る変わっていった。6戦目(距離が1400メートルに延びた秋風ジュニア)から騎乗し、さらに調子が良くなった。精神的にすごい馬だった。動じず、どっしりしていた」。レースぶりは「先頭に立つとフラフラするところもあったが、他馬に並ばれると、耳をしぼり、歯を食いしばってゴールへ走った。笠松時代から連闘に近いレースも多かったが、すごくタフで、餌食いがとても良かった。ぐんぐん体重が増えて、内臓も強かった」と笠松でのトークショー(2018年)で大食いキャラについても振り返っていた。

 笠松時代の騎乗馬ベスト3では3位レジェンドハンター、2位フェートノーザン、そして1位にオグリキャップ。芝のレース(中京盃)でも騎乗したアンカツさん。その後、中央に移籍したキャップの活躍について「クッション的にも走りが良く、芝はすごくいいと感じた。いつも応援していたし、勝つたびに誇らしくてうれしかった。地方から出た馬が、中央のエリート馬を負かすのは見ていて気持ち良かったし、そういった面でオグリ人気は高まった。実力もすごかったが、人気の方がすごかったね」と振り返っている。

1987年10月4日、笠松「ジュニアクラウン」の出馬表(競馬エース)。オグリキャップに◎が並び、マーチトウショウとの一騎打ちになった

 ■◎印がずらりと並んだ本命馬だったが「無名」に近い存在

 NHKのディレクターさんは2月の笠松競馬レース開催日にご来場。オグリキャップ像前で待ち合わせた。場内飲食店の「寿屋」でご当地人気グルメの「どて飯」を食べていると、到着の連絡があった。早速、西スタンドに案内し、レースを観戦しながら笠松時代のオグリキャツプに関する情報をお伝えした。

 ところでハヤヒデ(筆者)はオグリキャツプという存在について、デビューした1987年当時、リアルタイムでどこまで認識していたのか。確かに当時の専門紙「競馬エース」は、キャップが笠松で出走した10レース分を保管しており、希望者に配布もしてきた。改めて出馬表を見直してみると、赤ペンでチェックしているのは印が薄い穴馬ばかり。1番人気のキャップのレースもライブで観戦していたはずだが、◎印がずらりと並んだ本命馬という認識でしかなく、お恥ずかしいことにほとんど印象に残っていないのだ。

 今となっては「ノーマーク」で情けないことだったが、当時はオグリキャップが中央で有馬記念を2度も勝つ馬に成長するとは誰も思っていなかった。中央のレースで地方出身馬は格下に見られていたし、東海ダービーにも出走しておらず。まだ3歳馬(現2歳馬)であり、笠松の古馬にはフェートノーザンとかワカオライデンやポールドヒューマなど強い馬がゴロゴロいた時代。デビューして間もない駆け出しのオグリキャップは、まだそれほど注目されていなった。

 ■夜中に高校生が厩舎へ、熱狂的なオグリキャップブームの先駆け

 中央のレースではありえないが、1年目から古馬と対戦。競馬エースなど専門紙では「古馬もまっ青、オグリキャップの豪脚」「いったいどこまで強くなるのやら。そら恐ろしい怪物」と騒ぎだしていた。それでも地方レベルで、全国的には「無名」に近い存在だった。

 ただ鷲見昌勇元調教師によると、当時は円城寺厩舎に競馬ファンが出入りすることも可能なのんびりとした時代。オグリキャップが連勝を続けて強さが本物だと気付き始めた一部のファンが鷲見厩舎までやって来て、キャップの様子をのぞき見。夜中に高校生とかも来たというから熱狂的なオグリキャップブームの先駆けとなっていた。鷲見先生は1番人気で負けられないプレッシャーと、けがをさせられない思いから、レースが近づくとあまり寝られなかったそうだ。

笠松でデビューしたオグリキャップの調教師だった鷲見昌勇さん。名馬を誕生させ、育て上げた最大のキーマンだった

 ■鷲見元調教師こそがオグリキャップ誕生の最大のキーマン

 鷲見元調教師は岐阜県郡上市のご実家でお暮らしだが、今月末には90歳の誕生日を迎えられる。ご高齢になられたが、笠松の騎手、調教師として長年、競走馬を育て上げてこられた。オグリキャップの母であるホワイトナルビーを北海道の稲葉牧場に預け「1600メートルまでの距離でよく走るダート馬を」と小栗孝一オーナーの後押しを受け、ダンシングキャップを種付け。根気良く牧場巡りに励まれ、相馬眼に優れた鷲見元調教師こそがオグリキャップ誕生の最大のキーマンであった。

 「オグリの里」では3年前の夏、鷲見元調教師のご実家を訪れた。ウマ娘ブームで、オグリキャップ絡みの断片的な情報が切り取られ「元ネタ」などと騒がれたりもしていたが、間違った解釈が定着してはいけない。鷲見先生にオグリキャップの「語り部」として、笠松時代の「芦毛の怪物」の真実を語っていただく必要があると感じたからだ。

 「4コーナーで賞金が分かっていた馬」などオグリキャップ元調教師の鷲見昌勇さんに聞いたインタビュー記事を5回連載。それを読んでくださったNHKディレクターさんも「鷲見先生がご健在だし、これなら制作できる」と番組化を進めることにしたという。「オグリの里」としては、あのご実家でのインタビューがあったからこそ、今回の「新プロジェクトⅩ」が完成に至った。デビューした「聖地」から、番組作りのお役に立てたとの思いはある。 

2005年4月、オグリキャップの笠松里帰りセレモニーに出席した(右から)小栗孝一・秀子さん夫妻と鷲見昌勇さん(笠松競馬提供)

 ■オグリキャップを育てた多くの関係者が他界

 オグリキャップを育てた関係者といえば、稲葉牧場の生産者で誕生に尽力された稲葉裕治さんをはじめ、初代オーナーの小栗孝一さん、厩務員(2人目)の川瀬友光さん、美山育成牧場の吉田謙治さん、中央時代では調教師の瀬戸口勉さん、厩務員の池江敏郎さん、装蹄師の三輪勝さん(笠松)らが既に他界されている。
 
 関係者の方々は少なくなってきたが、やはり初代調教師で鷲見さんがご健在ということが番組化の決め手にもなった。オグリキャップの種付けから誕生に関わり、競走馬として育て上げた調教師の証言がなくては成立しない番組で、「ラストチャンス」の思いで制作に励まれた。

 NHK特番「あの日 偶然そこにいて」では昨年末「ディープインパクトが有終の美飾った『あの日』映像に数秒映った人々を大捜索」が放送され、併せて「前回オグリキャップ版の驚きの『その後』も」が映像として流された。それを受けた形で、今回の「新プロジェクトⅩ」では当初、ディープインパクトも候補だったそうだが、オグリキャップにゴーサインが出された。最終的にはドラマチックなストーリー性があり、国民的アイドルホースとしても人気面で圧倒しているオグリキャップに決まったということだろう。

1991年1月、笠松競馬場で開かれたオグリキャップの引退セレモニーでは安藤勝己騎手が騎乗。左側には池江敏郎厩務員の姿も(笠松競馬提供)

 ■笠松コースはオグリキャップが走っていた時代とほとんど同じ

 スタンドから眺める笠松競馬場の景観は、内馬場パドックやお墓があって、3コーナー奥では鉄橋を名鉄電車が行き交う。39年前の1987年にオグリキャップが走っていた時代とほとんど同じで、800~1600メートルのコースを計10回も走って8勝、2着2回。客席は特観席やユーホールが新設されたが、15店ほどあった飲食店はが半分以下に減ってしまった。それでも「昭和レトロ」感が漂い「ホッとできる空間」として根強い人気。漫画、アニメ「ウマ娘シンデレラグレイ」ではコラボレースも開催され、爆発的なブームを呼ぶ「シングレ効果」もあって、聖地巡礼の若者ら来場者は増加傾向だ。
 
 まだオグリキャップ特番の準備段階ではあったが、「オグリの里」を読んでいただいたディレクターさんと、オグリキャップが走ったコースを眺めながら長時間お話ができて「新プロジェクトX」での番組化を確信した。

 ■常連客「オグリキャップは確か2回負けたよ」と懐かしい声も

 東スタンドのパドック前に陣取った常連客の皆さんにも話を聞いた。遠い過去の記憶を呼び戻しながら「オグリキャップは確か2回負けたよ」と、当時のレースをデビュー戦から見ていたという熱心なファンの方もいらっしゃって貴重な証言を聞くことができた。

 笠松競馬場内では、ウマ娘ファンの若者グループも増えたが、やはり笠松競馬はこういった昭和、平成の時代からコツコツと馬券を買い続けるお客さんたちに支えられて存続してきた。皆さん紙馬券派で専門紙を手に、パドックを歩く馬たちを見ながら、ああだこうだと馬券作戦を組み立てていらっしゃる。馬主の小栗孝一さんも名付け親として「オグリ」の冠名が付いた愛馬たちの馬券を、少額でもコツコツと買われていて、馬主席隣のユーホール内でそのお姿をよくお見掛けしたものだ。

「勇気と元気」のパワースポットであるオグリキャップ像。ウマ娘ブームでも人気を集めている

 ■「新プロジェクトX」司会者の有馬嘉男さんや撮影スタッフさんら来場

 5月28日のオグリキャップ記念デーには、笠松競馬場に「新プロジェクトX」司会者の有馬嘉男さんや撮影スタッフさんらが来場。オグリキャップ像近くでは「オグリの里5巻・青春編」などの即売会も開いており、立ち寄っていただけた。本を購入しようとしていた若者が「オグリキャップの魅力や好きになったきっかけ」について取材を受けていた。

 オグリ像前では笠松競馬チャンネル「カサマックス」とNHKの「新プロジェクトX 」が交互に番組収録を行ったりした。これもすごいことで、オグリ人気を実感できるにぎやかさだった。オグリキャップ記念のレース映像も撮影され、地元笠松の渡辺竜也騎手が騎乗したケイズレーヴ(名古屋)が差し切りⅤを決めて盛り上がった。

中日スポーツ杯を勝ったオグリキャップと(左から)小栗孝一オーナー、鷲見昌勇調教師、安藤勝己騎手、川瀬友光厩務員

 ■武豊騎手「当時を知る関係者の皆さんと、あの時代やオグリとの思い出について」

 新プロジェクトXでは、オグリキャップが生まれた稲葉牧場(北海道新ひだか町)から笠松時代を経て、中央での有馬記念Vまで。1頭の競走馬に関わった多くの人たちの愛馬への思いなどが語られる。笠松関係では鷲見先生、厩務員、装蹄師、アンカツさん、小栗孝一さんの奥さんと娘さんらが出演の予定。 

 鷲見先生は高齢でもあり、インタビューは郡上のご実家で。小栗さんの奥さん・秀子さんと娘さん(江島勝代さん)はゲストとして東京のスタジオに招かれ、武豊騎手らとのトーク撮影も行われた。

 武豊騎手は自らのインスタグラムで「7月18日のNHK『新プロジェクトX~挑戦者たち~』に出演します」と報告している。 

宝塚記念をメイショウタバルで制覇し、喜びを語る武豊騎手

 「今回のテーマはオグリキャップ。当時を知る関係者の皆さんとともに、あの時代やオグリとの思い出についてお話しさせていただきました。今なお多くの人に愛される名馬の物語です。ぜひご覧ください」「そして本日の安田記念は、急きょ騎乗することになったシックスペンス(元国枝栄厩舎)で勝利することができました。オグリキャップでも1990年の第40回安田記念を勝たせていただいており、今回の出演ときょうの勝利に、何か不思議な縁を感じています。来週はいよいよ宝塚記念。メイショウタバルとともに、ファンの皆さんに愛されるグランプリレースに挑みます。この勢いのまま、来週も良い結果をお届けできるよう頑張ります。応援よろしくお願いします」

 ■宝塚記念を制覇し「ようやくピークが来ました、遅咲きでした」

 その言葉通り、宝塚記念(阪神)では重馬場が得意のメイショウタバルに天も味方。パドックを出た途端、ゲリラ豪雨となって好走を「演出」。人馬は見事に1着でゴールを駆け抜け、武豊騎手は2週連続でGⅠ制覇。驚異的なパフォーマンスを見せたレジェンド。レース後のインタビューで「ようやくピークが来ました、遅咲きでした」とファンらの笑いを誘っていた。現地でライブ観戦、馬券も的中できて「ユタカさん健在」を実感できた。

 「直接オグリキャップに関わられた方が少なくなる中、さまざまなな方々にご協力を頂き、貴重なお話を伺わさせていただき、番組に生かさせていただいております」と、貴重映像の「駆けろ!オグリキャップ~奇跡はおこせる~」が完成。敏腕女性ディレクターの番組作りへの情熱が結実。当時のオグリをリアルタイムで知るシニアのファンから若いシングレファンまで、幅広い世代の心に響く素晴らしい作品に仕上がったことだろう。

2005年4月、笠松競馬場に里帰りしたオグリキャップ。アンカツさんとも再会し、復興の救世主になった

 ■笠松競馬存続に貢献、日本の競馬界も救ったオグリキャップ

  さらにオグリキャップは引退後の功績も大きかった。種牡馬としてはGⅠを勝つような馬を出せなかったが、バブル経済崩壊後の右肩下がりの時代に、笠松競馬の存続や日本の競馬界をも救ったといえる。そういった功績については、テレビ特番では放送時間が限られており、語り尽くせないものがあった。なぜなら、有馬記念Ⅴでのあのオグリコールでラストシーンを迎えてしまうからだ。

 競走馬としては現2歳の5月にデビューして、現5歳の12月にラストランを迎え、3年7カ月で現役生活を終えた。その後も、北海道の優駿スタリオンステーションで種牡馬、功労馬として20年近くファンに愛され続けた。

 岐阜県はオグリキャップの功績をたたえ「県スポーツ栄誉賞」を授与。1992年2月には、笠松競馬場の正門横にオグリキャップのブロンズ像が建立された。この記念像は世紀をまたいで、競馬場を取り巻く経営環境の厳しさと長年の風雪に耐え続けて、天国からも目を光らせてきた。

 地方競馬の経営状況はバブル経済崩壊の波を受けて大幅に悪化。全国で廃止になる競馬場が相次いだ。2004年9月、笠松競馬に対しても「競馬事業を速やかに廃止すべき」(経営問題検討委の中間報告)と非情な通告。まだ累積赤字はないのに、90%以上廃止に傾いていた。

 「オグリキャップがデビューし育った聖地をつぶすな」。ここで立ち上がったのが全国のオグリファン、笠松愛馬会、マスコミなどで「1年間の試験的存続」を勝ち取った。05年4月にオグリキャップは「再興の救世主」となって笠松競馬場へ里帰り。アンカツさんとも再会し、その後の「存続」へと力強く後押ししてくれた。

 あの頃、笠松競馬は中央のGⅠレースでも活躍できる名馬を輩出し「地方競馬の雄」として先頭を走ってきていた。「その笠松の灯が消えれば、全国で生き残っていた他の地方競馬場の存続も厳しくなる」。競走馬を各地に供給してきた北海道の多くの生産牧場にとっても、受け入れ先が減って経営難となる大ピンチだった。

ラストランとなった有馬記念を制覇したオグリキャップと武豊騎手

 ■最後まで諦めない「オグリキャップ精神」が厩舎関係者ら現場の底力に

 オグリキャップは笠松競馬のシンボルであり、勝っても負けてもゴールを目指して最後まで諦めない「オグリキャップ精神」が厩舎関係者ら現場の底力となって発揮され、1年ごとに「存続」を勝ち取ってきた。

 中央競馬にとっても、地方競馬は未勝利馬の受け皿となっている。日本の競馬界全体での競走馬の循環システムの上でも、地方競馬はなくしてはいけない「再生の場」である。あのとき、笠松競馬の灯が消えていたら、他の地方競馬もバタバタと「ドミノ倒し」となり、日本競馬界存続の根幹を揺るがしていた。オグリキャップというスーパーホースがいたからこそ、「勇気と元気」のパワースポットであるオグリキャップ像が笠松にあったからこそ「今の中央競馬、地方競馬が存在している」と痛切に感じている。

 ■オグリコールは日本の競馬史上最高の名場面

 オグリキャップの聖地・笠松競馬場は「ドキュメント72時間」に続き「新プロジェクトⅩ」でも撮影の舞台になった。オグリキャップを笠松時代に中央でも戦える実力馬に育て上げた鷲見先生がご健在で本当に良かった。オグリキャップの力強い走りと活躍を支えた関係者のご尽力は番組を通して全国の競馬ファンや一般の人にも伝わることだろう。

 語り尽くせないオグリキャップの魅力だが、やはりあのオグリコールは日本の競馬史上最高の名場面。時を超えて輝きを増し続ける在りし日の芦毛の馬体。「オグリの里」から愛を込めて、あのオグリコールと共に50年、100年後の競馬ファンにも語り継いでいきたい。ゴールを目指して、ひたむきに走る姿に心を打たれて「感動した、勇気づけられた」というファンの心の中で、その雄姿はいつまでも生き続けていく。


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 (筆者・ハヤヒデ)電子メール ogurinosato38hayahide@gmail.com までお願いします。
 
 ☆最新刊「オグリの里5青春編」も好評発売中

 「1聖地編」「2新風編」「3熱狂編」「4挑戦編」に続く第5弾「青春編」では、笠松競馬場などでの「砂上の格闘技」で完全燃焼した人馬たちへの惜別の思いも込めた。巻頭はシンデレラグレイ賞&トークショーでのウマ娘ファンの熱狂ぶり、続いて日本競馬界最大のヒーローであるオグリキャップ、アオラキ&ハルオーブ、ストーミーワンダー、ハマちゃんなどを特集。

 林秀行(ハヤヒデ)著、A5判カラー、182ページ、1500円(税込み)。岐阜新聞社発行。ふらっと笠松(名鉄笠松駅)、笠松町歴史未来館、ホース・ファクトリー(ネットショップ)、酒の浪漫亭(同)、岐阜市内・近郊の書店、岐阜新聞社出版室などで発売。岐阜県笠松町のふるさと納税・返礼品。