岐阜を離れ、東京で暮らすようになって約35年が経ちました。
 これだけ長く東京に住んでいるのだから、そろそろ立派な東京人を名乗っても良さそうなものです。ところが、どうもそうはいきません。東京で「岐阜」という2文字を耳にした途端、妙にうれしくなってしまうのです。
 自分でも少々不思議です。岐阜で過ごした18年間、毎日が楽しかったはずはありません。嫌なこともあったでしょうし、早く東京に出たいと思っていた時期もありました。それなのに、35年も経つと、そうした記憶は都合よく薄れ、楽しかったことばかりが鮮明になってくる。
 人間の記憶とは、実に便利なものです。
 ひょっとすると地元愛というのは、多少の記憶の美化と、それを疑わない能天気さによって成り立っているのかもしれません。だとすれば、私はその両方に相当恵まれているようです。

◆行動のどこかにブレーキをかけてくれる
 東京という街の面白さの一つは、全国各地からさまざまな人が集まっていることです。仕事でも私生活でも、初めて会った人と「ご出身はどちらですか」という話になることが少なくありません。
 そんなとき、私には以前から抱いている、少々乱暴な持論があります。
 地元愛の強い人は、信頼できる。
 もちろん、科学的根拠はありません。東京出身の人が信頼できないという話でも、故郷について語らない人がそうだという話でもありません。独断と偏見、そして私自身の岐阜への偏愛に基づく人物評ですので、どうか大目に見ていただきたいと思います。
 では、なぜそう感じるのでしょうか。...