この連載では、岐阜出身で18歳で東京へ出たビジネスパーソンとして、故郷との対比を、日常生活や仕事を通じて感じた諸々をお伝えしています。

 今回は「岐阜弁」についての思い出を語ります
 辞書で「方言」を調べると、「一つの言語において、地域や社会層の違いによって生じる言葉の姿や、その地方特有の言葉(俚言)や発音(なまり)のこと」とあります。方言は、一般的には「標準語」との対比で語られますが、私は東京で話される言葉も、この文脈では「東京弁」ではないかと思っています。

 私の母語である岐阜弁と、東京弁を比べることは、標準と例外の対比ではなく、言語間のシンプルな比較ということになりますね。ただし、本稿では便宜上「標準語」という表現は利用していきます。
 私は高校卒業後に岐阜を離れ、東京へ出ました。かれこれ35年になります。人生のおよそ3分の2を東京弁の世界で暮らしてきました。それでも、実家へ帰り、両親や地元の友人と話し始めると、自然と岐阜弁が出てきます。その瞬間「やっぱり自分は岐阜人だな」と感じます。
 以前、日本語を一切話さず英語だけで生活したことがありました。わずか2週間でしたが、カラッとしたアメリカから、湿度の高い日本に戻り、飛行機を降りて最初に口をついて出てきたのは...
 「えらい、蒸しとるなあ」
 驚くことに時差ぼけの頭で自然とあふれてきたのは、仕事で使い慣れた言葉ではなくて、ふるさとの言葉でした。成田エクスプレスを降りるまで、そのスイッチは切り替わりませんでした。

◆岐阜弁が引き起こした数々の事件簿
 さて、続いては岐阜弁事件簿。
 先日、岐阜新聞のYさんが東京出張された際のこと。岐阜のお土産を持ってきてくれました。
 箱の裏にはいくつかの岐阜弁の解説が書かれており、その先頭に載っていた言葉が「がばり」=画鋲(がびょう)のこと=でした。
 私が子どもの頃、先生も友達も両親も、みんな「がばり」と言っていました。

 そういえば、ある岐阜出身者が名古屋勤務だったとき部下に「がばりを1000個買ってきて」と頼んだことがあったそうです。
 何が届いたでしょう?...