岐阜県多治見市西部の土岐川右岸側に位置し、愛知県と接しています。池田村(現池田町)の大字などを経て、町名となったのは1961(昭和36)年からです。

 「廿は十と十が続く、重なるの意で、当初開発が名荷の洞に始まり、やがてその北に続く原野を開発して本郷としたことから起こった地名か(池田郷の歴史)。」とあります。

 「廿」が「にじゅう」を意味することに由来する地名は、広島県廿日市(はつかいち)市など他にもあります。一方、岐阜県内では美濃加茂市に三和町廿屋(つづや)がありますが、こちらは中世に「筒屋」「津々野」とも書いたそうです。

 廿原町には、明治末から大正期にかけて「廿原焼」という手描きの焼き物がありました。多治見市史によると「きわめて丁寧な作り」で、廿原で陶磁器の原料の一つ「千倉(ちくら)石」が採掘されていたことに源流があるそうです。

(『角川日本地名大辞典』などを参照)

【答え】つづはらちょう