長良川では鵜飼シーズン真っただ中。源頼朝との縁など歴史ロマンに思いを巡らせて見物するのも一興だ=5月、岐阜市の長良川

 源頼朝は若き日、「鵜飼」に助けられたという一節が、軍記物語「平治物語」に登場する。1159年の平治の乱で、父義朝らと敗走中に冬の伊吹山麓ではぐれ、「鵜飼」に道案内を受けた、という内容。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で注目を集める頼朝と「鵜飼」にまつわるエピソードを追ってみた。

 乱の顛(てん)末を描いた「平治物語」によると、都から美濃方面へと逃げてきた義朝一行は、不破の関(岐阜県不破郡関ケ原町)に敵がいることを知り、伊吹山麓へと回って美濃の青墓(大垣市)へ着いた。雪降る中、10代前半の頼朝は大人に付いていけず、途中ではぐれてしまった。山中をさまよい、ある麓の里へ出た頼朝。谷川のほとりで腰掛けて自害を考えていたところ、「鵜飼」が声を掛けてきた。鵜飼は、平家の追っ手に見つからぬよう頼朝に女装をさせて、青墓まで連れて行ったという。

 その「鵜飼」が何者か、詳細は記されていない。大垣市文化財保護協会の清水進会長は「人の名前かもしれないが、おそらくは『職業として川で鮎漁を営んでいた者』を指している」とみる。大垣市史には「杭瀬川の鵜匠と思われるが、国境の話なので近江国の鵜匠かもしれない」の記述。岐阜市史も「美濃に関わりが深く杭瀬川を飼場とする鵜飼」の可能性に触れている。清水会長は「杭瀬川は伊吹山麓からはやや距離があり、地理的には近江の者であろう」と推測するものの「青墓まで道案内しているという点では、揖斐川筋で漁をする美濃の者かもしれない」と思いを巡らす。

 では、1300年の歴史を誇る長良川鵜飼に関係している可能性は。岐阜市歴史博物館の大塚清史館長は、「鵜飼」がどこの誰かは分からないと前置きした上で、「長良川鵜飼の鵜匠たちはオフシーズン、他の河川にも赴いただろう。長良川の鵜匠が、揖斐川筋で餌飼(えがい)(鵜の飼育で自然に魚を捕らせること)をしていた可能性がゼロだとは言えない」と想像を働かす。その真偽は別として、このエピソードが「鵜飼を営む者がただの漁師という位置付けではなく、川を知り尽くし、地理に精通した特殊な職能を持った人たちであることを示唆するのでは」と語る。

 令和の世は各地で鵜飼シーズンの真っただ中。歴史ロマンに思いを巡らせながら鵜飼見物をしてみてはどうだろう。

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 【平治の乱】 後白河上皇側近の対立などに絡み、源義朝が平清盛を打倒しようと挙兵したが、平家の圧勝に終わった。義朝は、関東を目指して落ち延びる途中、尾張で家臣に裏切られ殺害された。「平治物語」によると、頼朝は青墓にたどり着いた後に生け捕りにされ、のちに伊豆へ配流された。乱の後、源氏は一時衰退し、平家は全盛を極めた。