式典で平和の鐘を前に黙とうする参列者

 1945年、太平洋戦争末期の岐阜市で米軍の空襲により約900人の市民が命を落とした「岐阜空襲」から77年となった9日、岐阜市役所で平和の鐘式典が開かれ、市内の中学生らが鐘を打ち鳴らして平和への祈りを捧げた。

 式典は市が毎年開催。平和のシンボルとして設置している「平和の鐘」がある市役所4階のみどりの丘で行われ、柴橋正直市長や岐阜市仏教会の松久宗心会長、岐阜中央中学校(岐阜市京町)の1年生4人ら13人が出席した。

 

 同校の生徒と共に鐘を鳴らして黙とうした柴橋市長は「世界ではロシアによるウクライナ侵攻が起きている。平和を守り続けるには相当の覚悟とエネルギーが必要で、私たちが平和に対する思いを主体的に持たなければならない」と式辞を述べた。

 生徒は平和への誓いとして「戦争は過去のものでも、遠い国の出来事でもない。平和を願う気持ちを忘れない。戦争や空襲の恐ろしさを次の世代に伝える努力をする」と力強く述べた。

 式典では「岐阜空襲を記録する会」の篠崎喜樹代表(87)が空襲後の被害状況などを説明し、当時17歳だった小木曽公子さん(94)=岐阜市北山=が命からがら逃げた体験を語った。