ラストランとなった1990年の有馬記念を制覇したオグリキャップ。武豊騎手を背に、ウイニングランではオグリコールが鳴り響いた(競馬ブック提供)

 今年も残り少なくなった。有馬記念でラストランを飾ったオグリキャップをたたえる「オグリコール」が、クリスマスソングのように聞こえてくる季節になった。早いもので、あれから30年の時が流れた。

 ゴール後のウイニングランでは、当時21歳の若武者だった武豊騎手が、何度も右手を高く突き上げた。中山競馬場内を埋めた17万7779人の観衆から沸き起こった地鳴りのような叫びは、永遠の響きとなって輝きを放ち続けている。武豊騎手は「スタンドが揺れていて、泣いている人もいましたね」と振り返っていた。

 オグリキャップ最後の走りはテレビ観戦だったが、中山競馬場に駆け付けなかったことが悔やまれた。これほど素晴らしいラストシーンが待ち受けていたとは...。現地で「オグリ」を連呼したかったし、場内の熱気を体感したかった。

 笠松から中央入り後のライブ観戦は2度。1989年・秋の天皇賞(東京)で2着、90年の宝塚記念(阪神)でも2着。1番人気だったが、ともにまさかの敗戦。単勝大口勝負でがっくり...、寄り道する気にもなれず、新幹線で真っすぐに帰った苦い思い出があった。秋の天皇賞6着、ジャパンカップ11着で、スポーツ紙上では「オグリは燃え尽きた」という論調が強く、有馬記念の予想の印はオグリに冷たかった。

 それでも笠松育ちの名馬への感謝の気持ちを込めて、勝利を信じていた。4番人気オグリキャップの単勝と、ホワイトストーン(3着)、メジロライアン(2着)への枠連を厚めに買った。勝利が確定すると、単勝は550円も付いていた。熱狂的なオグリファンにとってはお宝馬券。なかには大口(100万円)で買っていた女性ファンがいたそうだが、単勝の当たり馬券を払戻期間(60日間)を過ぎても換金せずに、「マイコレクション」にしてしまったというから驚きである。札束よりも価値が高いと感じてのことだろう。数年前、笠松競馬場内の愛馬会売店には、オグリの大きなぬいぐるみ(10万円)が鎮座していたが、これを買ったのも女性ファンで、アイドルホースへの愛情の深さが感じられた。

 テレビの特番でも多く取り上げられ、過酷なローテーションでの激走や感動的なラストランに「勇気をもらった」と涙を流した人も多かった。競馬というギャンブルの枠を超えた「社会現象」として、若者や女性にもアピールした国民的スターホース。地方出身で中央のエリート馬を次々となぎ倒したオグリキャップの人気はすさまじかった。

1991年1月、笠松競馬場で行われたオグリキャップ引退の里帰りセレモニー。安藤勝己騎手を背に、場内外を埋めたファンが声援を送り、オグリコールが響き渡った

 ■笠松でもラストラン、場外に「土手スタンド」

 ラストランとなったジャパンカップで日本競馬史上初の芝GⅠ・9勝に輝いたアーモンドアイ(国枝栄厩舎)の引退式は19日、中山競馬場のパドックで行われた。2006年・有馬記念VでGⅠ・7勝を飾ったディープインパクトの引退式はレース後に行われ、約5万人が見守った。強さが際立った馬は他にも多くいたが、記録よりも記憶に残る名馬としてファンの心をわしづかみにしたオグリキャップ。波乱に満ちたストーリー性もあって「50年、100年に1頭のスターホース」と呼ぶ声もある。引退式は京都、笠松、東京の3場で実施され、ファンは競馬場を駆け抜ける最後の雄姿を目に焼き付けた。

 1991年1月15日、「満員、札止め」となった笠松競馬場での里帰りセレモニー(引退式)。公式入場者数は2万7765人で、当時の笠松町の人口を大きく上回るファンが競馬場内外を埋め尽くした。中央の日本ダービーや有馬記念などで見られる「徹夜組」のファンもいた。笠松競馬では「スタンドの収容能力は約1万8000人で、入場者が多い場合は規制する必要が出てくるかも」とオグリフィーバーを覚悟してしたが、「オグリを一目見よう」という人でごった返した。

 名鉄笠松駅から歩いて3分ほどの距離で、駐車場も満杯。真冬の寒さの中、早くからゴール前に並んでいたが、観衆はどんどん増え続け、後ろから押されながらで、すごい熱気に圧倒された。セレモニーには初代馬主の小栗孝一さん、調教師だった鷲見昌勇さんらオグリを育て上げたホースマンたちが勢ぞろい。馬場には「君がくれた感動とロマンよありがとう」の横断幕も掲げられていた。

 「オグリー」の熱いコールと拍手の中を芦毛の馬体が鮮やかに走った。有馬記念の優勝ゼッケン「8」を着けて、3コーナーから正面スタンド前へ。3年ぶりに笠松競馬場へ里帰りしたオグリキャップは、かつてコンビを組んだアンカツさん(安藤勝己元騎手)を背に、大観衆の前で最強馬(年度代表馬)の雄姿を見せた。

 アンカツさんのムチが飛ぶと、現役時代と変わらぬ力強さでコースを駆け抜けた。笠松のダートを走るのはこれが最後とあって、サービス精神旺盛にコースを2周し、ファンを喜ばせた。入場できなかった場外の堤防道路や土手のファンのためにも向正面をゆっくりと走った。間近でオグリの最後の走りを見ることができ、大満足だった。

安藤勝己騎手の騎乗で、笠松でのラストランを終えたオグリキャップ

 場内が「満員御礼」となったため、入りきれなかったファンは堤防にあふれ出ていた。向正面や1コーナー近くの土手、外ラチ沿いなどに数千人が陣取っていた。北側を振り返ると「土手スタンド」状態になっていて驚いた。何か「暴動」が起きたかと思えるような異様な光景は鮮明に覚えており、笠松発のオグリフィーバーのラストシーンを彩ってくれた。

 この日の馬券売り上げは5億4400万円。当時は日曜~金曜の6日間開催が多かった。平日4000人、日曜には7000人ほどが来場していた。1日の売り上げは3億~4億円。近年主流になっているインターネット販売だと業者への手数料が高いが、笠松本場のみでの馬券販売で収益は大きかった。

 名鉄は「里帰り記念乗車券」を発売。名古屋駅方面から笠松駅停車の臨時特急「オグリキャップ里帰り記念号」も運転。各駅から笠松駅までの往復乗車券をパノラマカーの写真付きで発売し、盛り上げてくれた。特急の先頭車両には「オグリキャップ」というイラスト入りの方向板も取り付けられていた。場内ではグッズ販売所も特設され、ぬいぐるみがすぐに完売になった。

  ■「豪脚、県スポーツ栄誉賞に」 

 岐阜県は「笠松競馬出身で県の名声を全国的に高めた」と、有馬記念で有終の美を飾った功績を評価。里帰りセレモニーでオグリキャップに「県スポーツ栄誉賞」の盾と感謝状を贈った。個人・団体の選手以外での受賞は初めて。「オグリキャップよ 君のひたむきさ 君のあの走りは 多くの人に夢と感動を与えてくれた 素晴らしい君を永遠にたたえたい」と感謝した。

 1月13日には「さよなら灰色の怪物」と京都競馬場での引退式が行われた。武豊騎手騎乗のオグリキャップが姿を現すと、最前列に陣取って、ぬいぐるみを抱えたオグリギャルたちが、熱い声援を送った。「足が地に着いていないよ」というファンもいて、熱いオグリコールとともに「痛い」「押さないで」といった悲鳴も交錯した。満員電車の中で身動きができないような状態は、笠松だけではなかったようだ。  

 1月27日、東京競馬場での引退式(武豊騎手騎乗)では約7万2000人が見守り、「おつかれさま」「ありがとう」の声が送られた。第5R後、ぬいぐるみを抱えたり、カメラを手にしたギャルたちも「オグリ、オグリ」の大コール。「ウオー」ととどろく中、枯れた芝を踏んで最後を楽しむかのようにゆったりと走り、芦毛の馬体を光らせながら晴れ舞台から姿を消した。

笠松競馬の守り神で「パワースポット」としても人気を集めているオグリキャップ像=2014年1月、年越しイベント

 ■「オグリの銅像建立を」

 笠松での里帰りセレモニーでは、もう一つ大きな動きがあった。県地方競馬組合議長で馬主会長を務めていた地元の古田好さんが「オグリキャップの銅像を競馬場内に建て、永遠に功績をたたえたい」と、県のイメージアップにもなる等身大の銅像の建立を提唱したのだ。

 92年2月12日、オグリキャップ銅像の除幕式が笠松競馬場の正門東側で行われた。古田さんは「全国のファンの思いが、このブロンズ像となった。誰もが触ることのできる『ふれあいの像』として、オグリの功績を後世に伝えていきたい」と熱く語った。アンカツさんら関係者8人の手で除幕を行った。
 
 平成から令和へと時は流れ、厳しい経営状況が続いた笠松競馬だが、オグリキャップ像は競馬場存続の守り神、パワースポットとして、大勢のファンを温かく出迎えてくれている。

 コロナ禍に揺れた2020年。笠松競馬では調教師、騎手の馬券購入問題なども抱えており、先行きが見通せない厳しい状況が続いている。こんなときこそ、オグリキャップの「最後まで決して諦めない走り」のレース映像をもう一度見直して、「勇気と元気」をもらってはどうか。有馬記念でのラストランはもちろん、87年秋の笠松・ジュニアクラウン、89年秋の毎日王冠、マイルCSのハナ差勝ちなど、しびれるレースばかりだった。オグリの最後の直線、ゴール前での闘争心は、人間の心にも訴える力がある。