木曽川の水力電源開発を手掛け、日本の近代化を後押しした明治・大正期の実業家・福沢桃介。「日本の電力王」と呼ばれた偉人は、名古屋鉄道の前身企業の経営にも携わるなど中部圏では知られた存在だが、生まれ故郷は現在の埼玉県吉見町という小さな町だ。実は、桃介と同郷の記者。帰省ついでに生誕地を訪ねると、その存在はあまり知られていなかったが、中部圏でたたえられる郷土の偉人を「誇りに思う」と話す地元の人たちの姿があった。
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埼玉県吉見町荒子が生誕の地
今年は、桃介の生誕155年、没後85年になる節目の年。1868年8月13日(慶応4年6月25日)に生まれ、1938年2月15日に69歳で死去した。生誕地は、吉見町の「荒子(あらこ)」という字(あざ)にある。農家の岩崎家に生まれ、元々は岩崎姓だった。この辺りは岩崎姓が多く、記者の小学校時代の恩師や中学校の同級生もこの辺りに住んでいた。
吉見町は、東京湾に注ぐ荒川の中流沿いの田園地帯にある。ちょうど、吉見町と対岸の鴻巣市の堤防と堤防の間の〝川幅〟が2537メートルあり、日本一。「川幅日本一」をキーワードに、きしめんの何倍も太い、畳のようなうどんも売り出しているが、台風など大雨の後はこの2・5キロの川幅いっぱいの濁流となり、河川敷にある運動公園の仮設トイレが流れていく光景を何度も見た。
西隣の東松山市と共に「やきとり」が名物だが、鶏肉ではなく豚肉、それも豚のカシラ肉のねぎま。炭火で焼き、唐辛子を混ぜたみそだれを漬けて食べる。そんな地域だ。
記者にしか書けないローカルな話は続く。桃介の生誕地は、埼玉県道33号東松山桶川線と県道76号鴻巣川島線の交差点近くにある。荒子の東吉見郵便局の向かいが生誕地だが、生家はなく麦畑に「電力王 福沢桃介 生誕の地」の立て看板と説明板があるのみ。吉見町教育委員会の名で「桃介は木曽川水源開発を始め、中部地方から関西を中心に多くの水力発電を開発したため『電力王』と呼ばれました」などと記されている。訪れたのは2月中旬。麦の芽が出始めた頃で、近くの岩崎いちご園では吉見町特産のいちごの直売が始まっていた。
幼い頃から聡明、「神童」
ここで、桃介が生まれた。過ごしたのは幼少期までのようで、説明板に「(明治)七年に川越に移り住んだと言われています」とある。どこかに子ども用の茶わんの破片でも落ちていないかと探したが、土にまみれた栄養ドリンクの空き瓶が落ちているだけだった。だが、近くの墓地には江戸時代から伝わる馬頭観音などの石碑も。桃介がつかまり立ちしたり、話し始めたりした頃からそこにあったのだろう。
各種伝記や歴史小説によると、桃介は幼い頃から聡明で「神童」と呼ばれていた。慶應義塾に進学すると、その運動会で大きな転機が訪れる。頭脳明晰(めいせき)で容姿端麗な桃介。ライオンのシャツでさっそうと走る姿が、福沢諭吉の妻・錦の目に留まり、次女・房との縁談に発展。結婚し、福沢姓になった。
米国留学で鉄道を学び、帰国後に投資家として巨額の資金を得た後、実業界へ。木曽川では水力電源開発の一大プロジェクトを指揮し、長野県から岐阜県にかけて今も現役で稼働する水力発電所を複数建設。その豊かな流れから得た電気を工業や鉄道(電車)に活用した。中部電力、関西電力、東邦ガス、大同特殊鋼、名古屋鉄道などの前身企業、岐阜県中津川市を走っていた北恵那鉄道(現・北恵那交通)の経営にも携わったほか、東京―大阪間を高速電気鉄道で結ぶ一大構想も抱いていた。
岐阜県の中津川、恵那市境にある水力発電用の大井ダム建設では、木曽川をせき止めることで副産物として恵那峡という景勝地も生み出した。日本初の女優、岐阜県ゆかりの川上貞奴とは旧知の仲だった。
中津川で功績を知った
そんな桃介。生まれ故郷の評価は―。記者の子どもの頃の記憶では、郷土かるたに採用されていて、読み札は「日本の 電力王は 福沢桃介」だった。だが当時は、その程度の知識しかなく、郷土学習などで桃介のことを学んだ記憶はない。岐阜県に来て、中津川や恵那の人たちが地元に貢献した偉人として評価していることに驚き、そこで初めて桃介の功績を知った―というのが正直なところだ。
やはり、生まれ故郷は今でもそんな雰囲気だった。生誕地近くにある島野商店。ここは中学時代の同級生、島野君の実家の青果食料品店だ。一度だけ遊びに行ったことがある。せっかくなので話を聞いてみようと、店の扉を開けると、ご両親。事情を説明すると、奥から本人が出てきた。島野哲也君(39)だ。店内では、94歳という島野君のおじいさんがストーブで暖を取っている。昔の話も聞けるかもしれない。
以下は、店内での会話だ。
島野君
「福田桃介? ああ、福沢ね。電池の? (生誕地は)すぐそこでしょ?」
祖父
「桃介さんのとこの土地か。ああ」
父
「詳しい人は亡くなっちゃったからね」
島野君
「岐阜県で有名なの?」
記者
「そう。名古屋でも」
母
「生誕地の看板はあるけど、あんまりこの辺りの人は関心ないからね」
父
「この辺はわりかしね。近所でも、あんまり話題にならねえな」
記者
「この距離でそんな感じですか?」
島野君
「全然分からない。昔、〝電池王〟っていう人がいたって、大人になってから知った。そこに看板があるから、そうなんだって。あんまり住んでなかったんじゃないの? ただ生誕地だっていうだけで。だから、話が残ってないんじゃない?」
父
「子どもの頃に移っちゃったんじゃないかな。よそへ。川越って聞いたな」
母
「一時、調べていた人はいたね。同じ名字だからって、岩崎さんが。だけど、亡くなっちゃったからさ。そのおじさんが。岩崎姓の人なら知っているかもね」
祖父
「今、いないよ。みんな分かるもんがいなくなっちゃったから。俺らも知らねえんだから」
記者
「おじいさんが子どもの頃に、それこそおじいさんから聞いた話は?」
祖父
「医者が住んでいたんだよな、そこに。代が違うんだろうけど」
父
「桃介の後の代だんべ、それは。94歳のおばあさんが子どもの頃の話だよ。よく遊びに行ったって言ってたんだから。その家に子どもがいたから」
記者
「でも、そこの生まれの人があっち(中部圏)では有名なんですよ、本当に。どう思いますか?」
島野君
「名前ぐらいしか知らないから、どうと言われても…。でも誇りに思います」
母
「誇りですよ。でも、どのぐらい有名なんですか?」
記者
「同じ埼玉県出身だと、渋沢栄一。あのぐらい」
母
「あのぐらい!? すごいんだね」
記者
「だけど、渋沢栄一と比べると、あまり郷土に還元していないかも」
母
「渋沢栄一は大河ドラマも見たけど、桃介も取り上げてくれたらいいよね(※85年の大河ドラマ『春の波濤』に桃介も登場。演じたのは風間杜夫さん)。地元は大喜びですよ」
記者
「誰に演じてもらいたい?」
島野君
「いや、そもそも桃介がどういう人か知らないからね(笑)」
記者
「有名になったら、こちらでまんじゅうとか作りますか?」
母
「桃介まんじゅう? いいですね、桃介っていう名前がいい。名前が好きなの、桃太郎みたいで。珍しいもん」
記者
「確かに、命名は生誕地でしょうね。この辺りで桃が咲いていたんでしょうか」
母
「何か、桃に由来があったかもね」
父
「まあ、あんまり知らねえからさ。聞かれても困るよ(笑)」
母
「桃介さんのことを調べている人はいたので、亡くなっちゃったけど残した資料はあるかもね。詳しく調べてみたら?」
ローカル話が満載となったが、おそらく同郷の記者にしか書けない、生誕地と岐阜県を結ぶ記事。次回は、より深く入り込み、生誕地情報を届けたいと思う。

























