JRA通算4000勝を達成した武豊騎手

 競馬界のスーパースター武豊騎手が、前人未到のJRA通算4000勝を達成した。GⅠ最多の75勝、年間最多の212勝など輝かしい記録の数々...。

 デビューから32年目を迎え、49歳になった天才ジョッキーは、かつて笠松競馬でも華麗な手綱さばきを披露してファンを魅了した。7000人を超えるファンが詰め掛け、「ユタカフィーバー」で盛り上がった。

 地方出身馬でのGⅠ勝利は3頭。笠松育ちのオグリキャップで安田記念と有馬記念(1990年)、妹のオグリローマンで桜花賞(94年)を制覇。オグリ兄妹でGⅠ3勝を飾ってくれた。オグリキャップの宿敵だったイナリワン(大井出身)では天皇賞・春、宝塚記念(89年)を勝った。

 オグリ兄妹での活躍もあって、笠松との縁が深かった武豊騎手。オグリキャップがまだ現役だった1990年3月に笠松初参戦。ユタカ人気で女性ファンが多く詰め掛け、熱い声援が飛び、場内はいつもと違う雰囲気。地元馬による「第5回中央競馬騎手招待競走」に出走したが、ワカポイントで惜しくも2着。勝ったのはタイプスワローで、ともにライデンリーダーを育てた荒川友司厩舎の馬だった。入場者は7670人(前日比2500人増)、馬券の売上高は4億円(同1億5000万円増)を突破した。

笠松競馬場での歓迎セレモニーで花束を受け取る武豊騎手

 それ以来、武豊騎手は笠松で7勝を飾っており、99年には「オグリキャップ記念」を制覇した。笠松初勝利は2度目の参戦となった93年の「第8回中央競馬騎手招待競走」で、まだ23歳の若武者だった。当時の新聞記事で、女性ファンらの熱狂ぶりを振り返った。


 武豊騎手、華麗な手綱さばき 大声援にこたえ快勝
           (1993年3月10日付・岐阜新聞)

スタージョッキーの来場で笠松競馬場はフィーバー。武豊騎手はフェンス越しに笑顔でファンと握手を交わした

 中央競馬のスタージョッキー武豊騎手(23)が9日、笠松競馬場に登場。普段より3000人ほど多い6585人のファンを前に、「天才」の名にふさわしい手綱さばきを披露。メインレースの「第8回中央競馬騎手招待競走」ではミスターコマモリで1着、大勢のファンの声援にこたえた。

 武騎手は昨春の天皇賞など多くのGⅠレースで勝っている中央競馬界きってのスーパースター。ギャルの人気も抜群で競馬ブームの立役者。今季も絶好調で重賞レース一つを含む28勝(2月28日現在)を挙げ、リーディングジョッキーの座をひた走っている。

 笠松競馬場での出走は平成2年3月以来2度目。前回は2着に甘んじた。この日は第6競走とメインレースに出走。中央競馬騎手招待競走では、仕掛けどころの難しい1900メートルの小回りコースで、馬の特徴をつかんだ鮮やかなレース運びを見せた。序盤は2番手につけ、中盤に先頭に立った。ミスターコマモリの力を十分に引き出し、そのままゴールイン。来場者からは感嘆のどよめきが起こった。

 表彰式では、いつもより3割ほど多い女性ファンの「ユタカくーん」の黄色い声援が飛び交った。第4競走後のセレモニーでは、フェンス越しに武騎手とファンが握手するなど、ユタカフィーバーで一日中活気づいた。売上高は3億686万円に達し、前日を約1億円上回った。


 改めて驚かされるのは当時の入場者数。近年の笠松競馬では、お盆や年末の盛況時でも3000人前後。インターネットによる馬券販売がなかった90年代は、多くのファンが競馬場に足を運んでおり、有料駐車場や場内の飲食店もにぎわっていた。やはりスタージョッキーの来場は盛り上がる。

オグリキャップの黄金像に「騎乗」する武豊騎手(東京・日本橋三越本店)。奇跡の復活劇として感動を呼んだ有馬記念のゴール前を再現。「大黄金展」の目玉として出展された(2013年7月12日付・岐阜新聞)

岐阜市の岐阜高島屋でも展示されたオグリキャップ黄金像

 武豊騎手とオグリキャップのデビューは同じ年で、昭和末期の1987年。ファンの心をわしづかみにした人馬の快進撃は、競馬ブーム再燃の「起爆剤」となった。90年、武豊騎手はテレビ番組「笑っていいとも」に出演。「オグリキャップをどう思うか」とタモリさんに聞かれ、「何を考えているのか分からないところがあって、嫌いです」と答えた。意外な言葉にドキリとさせられたが、これは、前年の天皇賞(秋)でスーパークリークに騎乗し、オグリキャップ(南井克巳騎手)を破ったことによるもので、反発するオグリファンもいた。武豊騎手は「オグリキャップの人気がすごい時でしたから、競馬ファンから『何でオグリキャップを負かしたんだ。何てことをしてくれた』という手紙が結構来ましたよ」と自らのファンとの交流会で苦笑いしていた。

 この後、安田記念でオグリキャップとの初コンビが実現。前年の有馬記念で5着に敗れた南井克巳騎手からの騎乗変更で、結果は「さすがユタカだ」の好騎乗で完勝。本人もホッと一息、「オグリキャップは確かに強いです。間違いなく名馬です」と語ったという。4000勝目はデビューした阪神競馬場で、メイショウカズヒメ(牝4歳)で達成。オグリの89年主戦騎手で、スーパークリークとも秋の天皇賞で死闘を演じた南井さん(現調教師)の厩舎馬でもあり、感慨深いことだろう。

ラストランで有馬記念を制覇したオグリキャップ。武豊騎手とのウイニングランでは、オグリコールが鳴り響いた(笠松競馬提供)

 4000勝のカウントダウン中には、ファンの心に残る名馬とレースをネット投票で選ぶ「武豊総選挙」がスポーツ紙上(日刊スポーツ)で行われた。べストレース部門では、やはりオグリキャップのラストランが強烈な印象を残し、武豊騎手を背に伝説の「オグリコール」に包まれた90年・有馬記念が1位に選出された。2位にキズナの日本ダービー(13年)、3位はスペシャルウィークの日本ダービー(98年)が選ばれた。べストホース部門では、1位がディープインパクト、2位がスペシャルウィーク、3位がキタサンブラック。オグリキャップは5位だった。 

 武豊騎手はJRAのほか、地方競馬でも194勝。「オグリキャップ記念」には6回参戦。95年にエイシンライジンで3着(マルブツセカイオー1着)、98年にはテイエムメガトンで4着と優勝を逃したが、勝ったのはアンカツさん(安藤勝己元騎手)騎乗のサンディチェリーで、弟の武幸四郎さん(現調教師)騎乗のメイショウアムールが2着だった。3度目の挑戦となった99年は、3番人気ナリタホマレで待望のオグリキャップ記念制覇を果たした。逃げ粘ったタカノハハロー(浜口楠彦騎手)を後方から一気に差し切った。92年に創設されたオグリキャップ記念は、97年から2004年までは1着4000万円のダートグレード競走(GⅡ)になったが、経営難に陥った競馬場の経費削減のため、05年からはJRA勢は参戦できない地方交流レースに格下げとなったまま、現在に至っている。

全日本サラブレッドカップを制覇したディバインシルバーとアンカツさん。武豊騎手も参戦し、存廃問題に揺れる笠松競馬を盛り上げた

 同じくダートグレード(GⅢ)だった「全日本サラブレッドカップ」(現笠松GP)には2度参戦。01年、マンボツイストで2着(ゴールドプルーフ1着)。笠松競馬の存廃問題が浮上した04年には、武豊騎手やJRAに移籍したアンカツさんも参戦。「お世話になった笠松を元気にしたい。支援の後押しを」という願いが込められ、熱戦を展開。武豊騎手はサイレンスボーイで8着に終わったが、アンカツさんのディバインシルバーが1着となり、存続を願うファンの熱い声援に応えた。このほか、武豊騎手は03年の白梅賞をワキノカイザーで、09年は木曽川特別をエーシンブイムードで勝った。

史上初のJRA通算4000勝を達成し、指で「4」を示す武豊騎手(9月30日付・岐阜新聞)

 笠松では今年、川又賢治騎手がJRA交流競走などで6勝を挙げる大活躍。ミルコ・デムーロ騎手と一緒にトークショーに参加。昨年4月には、ミルコ騎手も笠松で騎乗してくれた。それでもJRA騎手の笠松参戦は限られている。賞金は高くなるが、やはり地方・中央交流のダートグレード競走の復活が待ち遠しい。

 09年の勝利を最後に笠松から遠ざかっている武豊騎手。13年のオッズパークGPでは、ラブミーチャンへの騎乗候補にも挙がったが、ドバイ遠征のため実現せず。福永祐一騎手が騎乗し、1着に導いた。かつてGⅡだったオグリキャップ記念がJRA馬も出走できるダートグレードに格上げされれば、武豊騎手を笠松に引っ張り出すことも可能か。

 オグリキャップで勝った有馬記念は通算431勝目だったが、あれから28年。天才少年は「レジェンド」とも呼ばれる4000勝ジョッキーに成長した。今後は5000勝やJRAの「GⅠ完全制覇」を目指す。海外ではフランス・凱旋門賞などへの挑戦を続けることになるが、平日はのどかな地方競馬にも参戦してほしい。忘れられている笠松だが、武豊騎手がオグリキャップ記念などに出走する姿をまた見てみたい。