岐阜県海津市平田町、揖斐川左岸側の低湿地にあり、北の大榑(おおぐれ)川を挟んで安八郡輪之内町と接しています。永田武秀著「海津の歴史をあるく」では「河岸などの小さな平地を仏師という」としています。西南濃地域は、川や輪中など水に由来する地名が多く、仏師川もその一つかもしれません。

 仏師川に着目したのは、花火に絡む地であるためです。幕末期以降、西南濃や愛知県の尾張で「七墓(ななはか)」という農村娯楽が盛んだった時期があります。人々が和語でさまざまな事を朗唱しながら町を練り歩くものだったようです。「和讃(わさん)」と言うそうですが、その台本の一つに「仏師川煙火」というものがありました。

 明治の頃、仏師川では例祭で花火を奉納していたようで、当時の歌詞には「数万人の見物が」という一節もありました。夏も終わりますが、意外なところに花火の跡が残っていました。

【答え】ぶしがわ