昨年10月のこのコーナーでは岐阜県大垣市の「歩行(おかち)町」を紹介しました。大垣城下で暮らした江戸期の侍「徒士(かち)」の居住地だったことに由来していました。市中心部は同様に、江戸期の身分や職業が起源の町名が多いことも紹介しました。

 郭町は大垣市の中心市街地にあり、城の石垣や土塀を指す「くるわ」に由来しています。1870(明治3)年に石垣や塀を壊し、84(明治17)年に新町名として「郭町」が生まれました。大垣城の住所は郭町。城の囲いの中の町、という意味があるのです。

 城関係の地名では、各地の「丸の内」が思い浮かびます。もちろん大垣市にも郭町の西隣にありますが、古くからある地名ではなく1943(昭和18)年に郭町の一部を「丸の内」としたものでした。東京や名古屋、岐阜の城下町をならって名付けられたとされています。

(『水都大垣の地名』などを参照)

【答え】くるわまち