中部国際空港。「カードラウンジ前で」とLINE(ライン)が来て必死にYさんを探す。Yさんというのは超絶美人で手元はロレックス、指輪はカルティエ、いつもシャランとしたワンピース姿で、私がたまに訪れるカフェでいつもシャンパンを飲んでいるという不思議な女性だ。さらに大の海外旅行好きであり、旅に興味を持っていた私に、効率的なマイルのため方から始まり、旅先の便利で安全な過ごし方を教えてくれ、少し親しくなってからは旅先での様子をLINEでくれたりしていた。

 実は今回、Yさんはパートナーと旅行に行くはずが、パートナーが仕事で都合がつかなくなり、航空券とホテルシェラトン鹿児島の枠が余っていたとのこと。「よかったら来ない?」というお誘いに、初シェラトン! と緊張しながらも乗ってしまったのだが…。

 ラウンジ前にそれらしき人はいない。と、「お待たせー!」とファーの帽子にスキニー姿の女性が笑顔で走ってくる。違う、Yさんはどこだ。女性は私の前から動かない。え、と思っていると彼女は「え、あや子さんだよね」という。Yさん、印象変わりすぎじゃないですか…? ぼそっとラウンジで呟(つぶや)くと、旅ではだいたいこんな感じですよ、と彼女ははきはき答えながら私の分のコーヒーも持ってきてくれた。よく通る声と満面の笑み。Yさん、きっとすごく仕事できるんだろうな。そう思いながら高そうなロレックスをまた盗み見する。

撮影・三品鐘

 旅行中は今までの沢山(たくさん)の旅行の話を聞いた。それでもやりたいことはまだまだあるらしく、今年は親御さんにハワイ旅行をプレゼントするらしい。最後の親孝行、と言う彼女の明るい声。数歳しか年が変わらない、その洗練された発想に驚く。

 「私は創作者じゃないからさ」。そう彼女は何度もいった。でも創作者なんて大したものじゃない。創作するのは文字ばかりで、そのよく通る声も、艶やかな笑顔も、ピンと伸びた姿勢も、穏やかながら張りのある気遣いも、ロレックスが似合う細い指先も私には創作できない。そう思いながら、シェラトンでシャンパンを開ける。あまり普段は飲まないけれど、と言うと、「でも、飲んだらもしかして筆が進むかもよ?」と彼女は笑う。実際、酔っ払ってからはするすると筆が進み、彼女の言葉に書かされてしまった。

 そう、創作は芸術や文学だけではない。自分の人生を自分でクリエイトしていくことも立派な創作。彼女も人生の創作者だ。そしてYさんがそっと打ち明けてくれた「30歳の日に、自分のために清水の舞台から飛び降りて買ったロレックス」のピュアな青い文字盤を何度も思い出す。


 岐阜市出身の歌人野口あや子さんによる、エッセー「身にあまるものたちへ」の連載。短歌の領域にとどまらず、音楽と融合した朗読ライブ、身体表現を試みた写真歌集の出版など多角的な活動に取り組む野口さんが、独自の感性で身辺をとらえて言葉を紡ぐ。写真家三品鐘さんの写真で、その作品世界を広げる。

 のぐち・あやこ 1987年、岐阜市生まれ。「幻桃」「未来」短歌会会員。2006年、「カシスドロップ」で第49回短歌研究新人賞。08年、岐阜市芸術文化奨励賞。10年、第1歌集「くびすじの欠片」で第54回現代歌人協会賞。作歌のほか、音楽などの他ジャンルと朗読活動もする。名古屋市在住。

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