2月7日、切り干し大根をお湯で戻してサラダを作っていて思い出した。今日は祖母の命日だ。

 両親が教師として共働きをしていた環境で育った私は、思えばおばあちゃんおじいちゃん子だった。私は昭和62年生まれだが、小さいときのお菓子は祖父母の方針により乾パンと氷砂糖。プールのあとは祖母の運転する軽トラの荷台でお手製の梅干しを食べながら帰っていた。学校指定の靴以外で初めて持ったのは祖母の布草履だったと記憶している。祖母は何でも作った。お茶も自分で炒(い)っていたし、農家だったので大根ができると常備用に切り干し大根も作っていた。今でいうDIYだ。長身で、自分のものを持つことがあまりなかったため、祖父のシャツやカーディガンをうまくレイヤードして着こなして、首に冷え予防にストールを巻いていた。使っているものはごくごく普通だけれど、今思えば何だかモダンな人だなあと思う。

 物腰が柔らかくて、怒ることはほとんどなかったし、私がしたいこと興味を持つことに、理解は及ばなくても面白そうに見ていてくれた。高校在学中、短歌研究新人賞を受賞して新聞で記事になったときは、「新聞に載るんよあやちゃんは。私は新聞敷いてその上に乗ることならできるんやけどねえ!」としきりに笑っていた。これは彼女なりの孫自慢の「持ちネタ」だったのだろう。

撮影・三品鐘

 そんな祖母が怒った、今でも印象的な思い出がある。ある日、祖母は居間で足を伸ばして豆か何かを選(よ)る手作業をしていた。居間から抜けて台所に行きたかった私は、ふと、祖母の足をまたいだ。その瞬間、祖母は烈火の如(ごと)く怒ったのだ。「人をまたぐのはあかん!」

 それはそうだろうと思う。でも、一般的にいえばもっと怒られるようなことを私はしてきたし、それに対して祖母は直接的には怒らなかった。思えば、あの「またぐ」は、彼女にとっての品性の聖域だったのだろう。

 モラルやルールを守っていても、人によってはなんてことないことが、その人にとって許せないことがある。自分への小さな約束事を守ることが、自分を保っていることは、多かれ少なかれ皆あるのではないだろうか。食事のマナー、部屋でのルール、ものの渡し方、片付け方。人にはそれぞれの品性の持ち方があるということ。そのときはそれを言語化できなかったけれど、祖母の「人をまたぐ」に、私は初めて人の品性を見たのだ、そうぼんやりと思う。そんな切り干し大根の夜である。


 岐阜市出身の歌人野口あや子さんによる、エッセー「身にあまるものたちへ」の連載。短歌の領域にとどまらず、音楽と融合した朗読ライブ、身体表現を試みた写真歌集の出版など多角的な活動に取り組む野口さんが、独自の感性で身辺をとらえて言葉を紡ぐ。写真家三品鐘さんの写真で、その作品世界を広げる。

 のぐち・あやこ 1987年、岐阜市生まれ。「幻桃」「未来」短歌会会員。2006年、「カシスドロップ」で第49回短歌研究新人賞。08年、岐阜市芸術文化奨励賞。10年、第1歌集「くびすじの欠片」で第54回現代歌人協会賞。作歌のほか、音楽などの他ジャンルと朗読活動もする。名古屋市在住。

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