これを書いているのは1月半ば。年末年始のビッグイベントを終えた後の、気がたるみつつも忙(せわ)しなさに体を無理やり追いつかせている時期だ。

 年末年始、特に親元への帰省は、多くの人を悩ませるものだろう。もちろん、多くのご家族が仲睦(なかむつ)まじく、日頃話せない話に花を咲かせたことを祈りたい。だが聞いてみると、帰省ごとに疲れを感じるという同世代の友人が多いのもまた事実だ。離婚を経て一人暮らしという微妙な立場から、また実家から適切な距離を取るためにも、盆も正月も実家に帰らない私には、その気持ちはよくわかる。

 おそらく、皆を疲れさせている言葉はこんなものだ。「結婚は? 恋人は?」「子供は?」「まだそんな状態なの? しょうがないわね」「それでちゃんとやっていけてるの?」

(撮影・三品鐘)

 パートナーシップ、結婚や子育てのための環境や資金、どこまで自分を支えてくれるのか曖昧な仕事のポジションや雇用形態。どれもが個人の問題のように見えつつ、社会の問題でもあるこの質問に、私たちはどう返せばいいのだろうか。「お父さんお母さんの時代はそれでよかっただろうけどさ」と嫌みを言うのはたやすい。普段食べられないご馳走(ちそう)と家事に追われないだらだらした時間をいただきつつ、憎まれ口を叩きたくなるのも人間のしようがない業だ。そんなわけで、私は帰省というものをここ数年していない。「ひとりで寂しくないの?」と言われるが、寂しさは「寂しさ」を感じるからできるもの。思えばクリスマスやお正月に人は「ひとりぼっち」を感じやすいが、クリスマス、お正月以外でも私は十分に「ひとりぼっち」、言い換えれば万事ソロ活動である。季節に煽(あお)られると言うのはそういうことなのだろう。

 このクリスマスは、教会の公開ミサに行った。ミサの厳粛で隣人を想う気持ちを、ひとりぼっちでたっぷり味わい、同じく独り身の友人たちにクリスマスローズをプレゼントして年末の挨拶(あいさつ)を済ませた。お正月は小さな鏡餅を玄関に置いてこたつでゆったりと“積読(つんどく)”の本を。季節限定の寂しさも、親族の過剰な関心も、すうっと風に身を任せるように受け流してみたい。自分の機嫌は自分で取る。そして私の人生を決めるのは結局私しかいない。年末年始、孤独とともに自由はこうしてあるのだろう。


 岐阜市出身の歌人野口あや子さんによる、エッセー「身にあまるものたちへ」の連載。短歌の領域にとどまらず、音楽と融合した朗読ライブ、身体表現を試みた写真歌集の出版など多角的な活動に取り組む野口さんが、独自の感性で身辺をとらえて言葉を紡ぐ。写真家三品鐘さんの写真で、その作品世界を広げる。

 のぐち・あやこ 1987年、岐阜市生まれ。「幻桃」「未来」短歌会会員。2006年、「カシスドロップ」で第49回短歌研究新人賞。08年、岐阜市芸術文化奨励賞。10年、第1歌集「くびすじの欠片」で第54回現代歌人協会賞。作歌のほか、音楽などの他ジャンルと朗読活動もする。名古屋市在住。