「天国でハマちゃんと一緒にレースをしてるかな」
愛称「ハマちゃん」の浜口楠彦騎手。「笠松の快速娘」ラブミーチャンと人馬一体の名コンビだった。デビュー戦から兵庫ジュニアグランプリ 、全日本2歳優駿など無傷の6連勝。天性のスピードを引き出し、愛馬は地方競馬の世代頂点に立った。JRA・桜花賞には挑めなかったが、黄色のメンコ姿と「ハマちゃんスマイル」はファンのハートを射止めた。
引退まで34戦のうち27戦に騎乗し、ダートグレード3勝を含め13勝。最高のパートナーとして好騎乗を見せたハマちゃんと育ての親・柳江仁調教師、森崎隆厩務員ら。地元・笠松競馬場でもセレモニーが行われ、ファンの声援を受けた。
■「でら馬スプリント」で地方通算2500勝達成
2012年6月、主戦の浜口騎手は5歳になったラブミーチャンに騎乗。名古屋「でら馬スプリント」連覇を飾り、自らも地方競馬通算2500勝を達成した。デビューは1976年で、19009戦目での到達となった。
笠松でのセレモニー。ファンから花束を贈られ「長いこと(36年間)乗せてもらい、2000年にけが(左膝)で10カ月休んで復帰した時には、ファンの『おかえり』の声がありがたかった。次は2501勝目を目指します」とハマちゃんスマイル全開で喜びを語った。
■年度代表馬「また笠松で走るので競馬場に足を運んで」
NARグランプリ2012では年度代表馬など3冠に輝き「地方馬日本一」の栄冠を奪還した。
笠松のファンを前に浜口騎手は「2度目の受賞だが、昨年は取りこぼしもあった。また笠松で走るので、競馬場に足を運んでください」と贈られた花束をファンに手渡し、声援に応えた。柳江調教師は「笠松は年度代表馬となる強い馬が出る素晴らしい競馬場。今後も精進していきたい」と喜びを語った。
愛馬を「ミーチャン」と呼んでいたハマちゃん。その魅力について「スピードがあって、全身を使って力強い跳びをする。トップスピードに乗って、勝負根性や精神的な強さもすごい」と絶賛し、手綱を握った。
全日本2歳優駿(川崎)の現地実況では「ラブミーチャン先頭、笠松の快速牝馬が逃げ切った。デビュー5連勝で一気にGⅠ馬に上り詰めました」。東京盃(大井)では「堂々と先頭。ブミーチャンやりました。東京盃制覇、浜口楠彦騎手」とライブ映像が全国に流れ、笠松ファンも歓喜に浸った。
■JBCスプリント追い切りで骨折、引退
ノーザンファームしがらきでの坂路調教効果は大きく、6歳4月から4連勝とスプリント女王に君臨していたが、秋に思わぬアクシデントが待ち受けていた。
10月30日、金沢での「JBCスプリント」(JpnⅠ)直前の最終追い切り中に、ラブミーチャンは右前脚種子骨を骨折。出走を回避するとともに、引退して繁殖入りすることが決まった。
追い切りは体調を崩していたハマちゃんでなく、ミッキー(藤原幹生騎手)の手綱で行われたが、ラブミーチャンに異変が起こった。馬場から装鞍所エリアに戻ってくると、現場は凍り付いた。柳江仁調教師がすぐに「レントゲンを」と悲痛な声を上げた。
クラスターカップ(盛岡)では優勝したが、脚部不安で東京盃を回避し、馬体回復に努めてきた。追い切りは当初29日の予定だったが、逃げ出した競走馬が軽乗用車と衝突し、男性が死亡した事故を受けて自粛し、1日遅れで行われた。柳江調教師は「夏場の疲れでフットワークが乱れ、脚をかばいつつだった。疲労骨折のような感じで、自分で急に止まってしまった。ショックです」。笠松競馬にとって悪い流れが一気に押し寄せた。
既に年度内引退は決まっており、ラストラン「笠松・オッズパークグランプリ」には浜口騎手で引退の花道を飾る予定だった。柳江調教師は「最後のレースとなった盛岡では勝ってくれたし、今後は繁殖の世界で頑張ってほしい」と愛馬をねぎらった。
■「笠松一筋」の豪腕、数々のビッグレース制覇
11月6日、浜口楠彦騎手は現役ジョッキーのまま53歳で亡くなった(心筋梗塞)。ラブミーチャンの主戦として地元競馬ファンの一番人気だった名手。最後の直線での追い比べでは「これでもか」の豪腕ぶりを発揮し、数々のビッグレースを制覇した。元騎手で兄弟子でもあった松原義夫調教師とのコンビでは、クインオブクインに騎乗。東海菊花賞など重賞6勝を飾った。
全日本2歳優駿制覇などラブミーチャンのダッシュ力にも後押しされ、華々しい活躍を見せていたが、笠松最年長ジョッキーの肉体は限界に近づきつつあった。
夏場の名古屋スプリント戦ではラブミーチャンに騎乗し3連覇を達成。習志野きらっとスプリントにも「乗りたかった」というが、肉体は悲鳴を上げ、騎乗を断念。関係者によると「かつて傷めた脚にボルトが入っていて、痛み止めを打ちながらの騎乗で、体はぼろぼろの状態だった」という。
■「俺、降ろされちゃった」でも「ミーチャンでGⅠも勝ったし」
笠松グランプリ2着後、コンビは一時解消。JRAの福永祐一騎手らに手綱を譲り「俺、降ろされちゃったから」と寂しそうな表情も見せていた。それでも「ミーチャンでGⅠも勝ったし」とにっこり。主戦復帰を願い、体調と相談しながらラブミーチャンの調教には励んでいた。
37年間、笠松一筋。同期デビューの安藤勝己騎手らが中央競馬移籍後も、経営状況の厳しい笠松の屋台骨を支え続けた。ラブミーチャンとの地元ラストランの夢は果たせなかったが、ファンを魅了した「ハマちゃんスマイル」は名馬、名手の里・笠松競馬の永遠のシンボルである。その柔和な笑みが目に浮かぶファンは多いことだろう。
浜口騎手は、けがに苦しみながらも、とても研究熱心なジョッキーだった。昨秋、笠松町歴史未来館で開かれた企画展「笠松競馬~ラブミーチャンのふるさとを訪ねて~」では、騎乗技術の向上などについてまとめた自筆ノートや、貴重な写真として「ミーチャンと浜ちゃんの奇跡の一枚」も展示された。浜口騎手に寄り添うようなラブミーチャンの愛らしい姿がほほ笑ましい。
■4連勝中のまま引退、「快速娘」の功績たたえる
「栗毛のシンデレラ」は大人に成長し、地方ダートの「スピードクイーン」に君臨。4連勝中のまま引退が決まり、8月の盛岡・クラスターCがラストランとなった。
2014年2月、7歳になったラブミーチャンの引退セレモニーが笠松競馬場で行われた。右前脚骨折が回復せず、雄姿を見せることはできなかったが、最終レース後、ファン約400人が「笠松の快速娘」の引退を惜しみ、功績をたたえた。
通算18勝、獲得賞金2億5840万円(JRA含む)。優勝レースなど名場面の映像が流された後、感謝状を贈られた馬主の小林祥晃さんは「こんなに多くの人に愛される馬を持ったのは初めて。本当に感謝しています」と涙を流しながら、愛馬の活躍をたたえた。
厩舎内でのラブミーチャンの様子を撮影した映像と共に、柳江仁調教師が近況を報告。東京から訪れた男性ファンは「最後に見られなくて残念だったけど、ラブミーチャンのような新たな名馬がまた誕生してほしい」と願った。
■「ハマちゃん、ありがとう」献花台も
場内にはハマちゃんの写真が飾られた献花台も設けられ、小林祥晃オーナーや調教師夫妻、厩務員らが手を合わせ、冥福を祈った。ファンからも「ハマちゃん、ありがとう」の声が一斉に上がった。
ラブミーチャンを「天から舞い降りた女神」と表現していたハマちゃん。笠松のトップジョッキーだった安藤兄弟や川原騎手らが抜けた後も、古き良き競馬場存続のため、体を張って走り続けた。そして、現役のまま完全燃焼で燃え尽きた。ユニークなキャラクターも魅力的だった。
復興途上のこの日の馬券販売額は約1億8500万円とまだ少なかったが「SPAT4」やJRAネット投票のファン層が徐々に広がり始めた。14年10月にはJRAの馬券が買える「J-PLACE」が笠松本場とシアター恵那でオープン。GⅠ・スプリンターズSの馬券などが販売され、人気を集めた。
■柳江調教師「ミーチャンの連続ドラマがまた」
繁殖後の産駒を預かることを楽しみにしていたのは柳江調教師。「ミーチャンの連続ドラマがまた始まる」と新馬から強い馬に育てる夢を広げていたが、14年12月、円城寺厩舎内で暴れ馬による不慮の事故に遭い、亡くなられた。
競馬場経営の最も苦しい時代に「笠松の看板娘」としてラブミーチャンを育てた名トレーナー。全国の重賞で勝ち取った輝かしい優勝レイの数々とともに、その手腕は馬券販売アップにも貢献し、笠松競馬の存続・復興への大きな力となった。全日本2歳優駿を制するなど地方競馬で通算1667勝、JRAで1勝を挙げた。
■引退後は北海道・谷岡牧場で繁殖入り
引退したラブミーチャンは3月、繁殖牝馬になるため北海道新ひだか町の谷岡牧場入りした。ダービー馬のサクラチヨノオーなど数々のGⅠ馬を育ててきた名門で、ラブミーチャンも3歳時の北海道遠征で世話になった。
繁殖入りして2年余りの頃、谷岡牧場を訪れると、母馬として子育て奮闘中のラブミーチャンが、わが子の2頭を優しく見守るほほ笑ましい姿があった。ゴールドアリュール産駒の長男ラブミーボーイと次男ラブミージュニアで、デビューを目指して成長の日々を送っていた。
■長男ラブミーボーイ初勝利は笠松、血脈受け継がれ
長男ラブミーボーイはJRAでデビュー後、18年6月に笠松(後藤正義厩舎)へ移籍し、2戦目で待望の初勝利(東川公則騎手)を挙げた。2番手から直線突き抜けて6馬身差の圧勝。単勝1.1倍の人気でファンの熱い期待に応えた。勝ったラブミーボーイの口取り写真撮影では、当時ジョッキーを目指して実習に励んでいた東川慎候補生の姿もあった。笠松では6戦して全て馬券圏内で計3勝を飾る活躍を見せた。地方で計7勝。
次男ラブミージュニアは大井などで8勝。長女ラブミーレディーは中央で1勝し、繁殖馬になった。三男リッキーボーイは父コパノリッキーで、未出走ながら種牡馬入り。次女のリッキーアンドミー(父コパノリッキー)は未出走のまま繁殖入りした。
ラブミーレディーの長男コパノハーン(父コパノリッキー)が8月末にJRAデビューを果たしており(11着)、ラブミーチャンの血脈は今後も受け継がれていく。
■オグリキャップ、ライデンリーダーに続き「ラブミーチャン記念」
14年11月11日「ラブミーチャン記念」が新設され、笠松競馬場で開催された。功績をたたえようと「プリンセス特別」を改称して初開催。馬名を冠にした笠松の記念競走はオグリキャップ記念、ライデンリーダー記念に続き3レース目となった。
競馬組合では「このレースを契機に、ラブミーチャンのような強い馬が出てくるかも。ぜひ足を運んでほしい」と期待を込めた。プリンセス特別時代にはオグリローマン、ライデンリーダーも優勝しているが、ラブミーチャン自身は出走していない。
第1回はジュエルクイーン(北海道)=阪野学騎手=が重賞初制覇。出世レースとなり、重賞10勝と活躍した。4年前にはコパさん愛馬ラジアントエンティ(北海道)=吉村智洋騎手=が優勝を飾った。
■ファンから多くの追悼メッセージ「天国でも走れ」
9月、笠松競馬場ではラブミーチャンのパネル前に献花・記帳台が設置され、大勢のファンが名牝の活躍をしのんだ。花束やニンジン、リンゴとともに「天国でも走れ」などと多くの追悼メッセージも寄せられた。その一部を紹介すると―。
「ラブミーチャン、浜ちゃんに会えるな。天国でもハナを切り続けるだろうね」
「元気をいっぱいもらいました。ありがとう」
「快速の逃げ、とってもかっこよかった」
「全日本2歳優駿での活躍、一生忘れません。ありがとう」
「栗毛のシンデレラよ、ありがとう」
「血はつながっていくと信じています。先輩アイドルホース、オグリキャップによろしく」
「この笠松からよくぞGⅠまで、ありがとう。おつかれさま」
「あなたのおかげもあって、笠松競馬が存続していると思います。これからも見守ってください」
■NARのタイトルは「9冠」いつか記念像も
愛馬の活躍をたたえ「笠松競馬場内にラブミーチャンの記念像をつくりたい」との意向を示されたDr.コパさん。ファンは「実現したらいいなあ」と笠松競馬がどん底の時代に「光、希望、元気」をくれたスターホースの記念像ができることに期待を寄せた。オグリキャップ像と共に新たなパワースポットになるかも。
ありがとう、ラブミーチャン。NARタイトルは通算「9冠」。柳江仁調教師は「殊勲調教師賞」を受賞した。今後、地方競馬の発展に顕著な功績があったとしてラブミーチャンが「特別表彰馬」に選出されれば、父サウスヴィグラスに続く栄誉となる。ファンのハートを熱くしたあのダッシュ力と勝負強さは永遠の輝きを放ち続ける。ハマちゃんを乗せて、笠松競馬場の上空からみんなを見守ってくれることだろう。
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「1聖地編」に続く「2新風編」ではウマ娘ファンの熱狂ぶり、渡辺竜也騎手のヤングジョッキーズ・ファイナル進出、吹き荒れたライデン旋風など各時代の「新しい風」を追って、笠松競馬の歴史と魅力に迫った。オグリキャップの天皇賞・秋観戦記(1989年)などオグリ関連も満載。
林秀行(ハヤヒデ)著、A5判カラー、206ページ、1500円。岐阜新聞社発行。笠松競馬場内・丸金食堂、ふらっと笠松(名鉄笠松駅)、ホース・ファクトリー、酒の浪漫亭、小栗孝一商店、愛馬会軽トラ市、岐阜市内・近郊の書店、岐阜新聞社出版室などで発売。
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